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2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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4月20日

南三陸町を後に、重い気持ちのまま南下。
去年お世話になった石巻市雄勝の葉山神社に向かった。
志津川中学校で道を聞いた時、わざわざ電話までして調べてくれたが、
結局橋が落ちていてその道は使えなかった。
情報が混乱している。
北上川の河口にかかる大きな橋が落ちている。
落ちた鉄骨が川を少し上った場所に沈んでいる。
リアスの入り組んだ土地柄ゆえ、主要道が使えないと途端に交通の便が悪くなる。
ナビのない車なので、地図を見ながらの移動だったため、何度も道に迷った。

道を把握。
北上川に沿った道を進む。
正確には、道であった場所だ。
北上川南岸は、堤防ごと道がぶっ飛んでいた。
水が引いた跡に作られた仮の道は水面と変わらない高さ。
当然ガードレールなど無いので、ハンドル操作を誤れば川に落ちる。

北上川の落ちた橋、新北上大橋の南岸に辿り付くだけで相当神経を使った。
雄勝には、ここからトンネルを通って雄勝湾に出るのが一番の近道。
そうでなければ女川町を通って大回りしてくる道があるのだが、
あとで聞いた話によると、そのルートは延々と続く瓦礫の山で、
時間がかかって仕方がないとのことだった。

トンネルをぬけるとそこは瓦礫の山だった。
南三陸町で見た瓦礫とは違う。手付かずの瓦礫だった。
先にも書いたが南三陸町は報道もされ、割と大きな町ということもあり、
瓦礫の撤去は割と進んでいた。
しかし雄勝は、津波に襲われたそのままだった。

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町の規模が小さい上、高台に避難所となる施設もないために、
被災後はそれぞれ縁を頼って方方に散ったという。
雄勝は元々津波に弱い土地だということを後から聞いた。

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海と山、僅かな陸地にへばりつくような集落。
典型的な漁村の立地であり、こういう町を釣りをしながら渡り歩いたものだ。
その度に海面と道路が近いことを驚いたものだが、
津波に襲われた後では、海と道路を隔てる壁がもぎ取られ、
海と道との境が希薄になっていた。
訪れた時間の潮までは把握していなかったが、
満潮時には海に沈みそうな道をいくつも通って、
やっとのことで葉山神社に辿りついた。

葉山神社。
当日記ではかつて石神社をメインに紹介した。
http://miyokame.blog82.fc2.com/blog-entry-227.html
訪れた当時、葉山神社は大掃除の真っ最中で、
写真はあまり撮っていなかった。
だが、その時に千葉宮司に話しかけた事によりご縁をいただき、
この神社は私にとって忘れ難い神社となった。
(詳しくはリンク先の記事を参照)

千葉宮司とは震災後に連絡を交わし、無事を確認していた。
親戚筋の秋田に疎開されたいたそうだが、数日前に雄勝に戻ってきたそうだ。
海のすぐそばの葉山神社。
航空写真でも被害の様子が見て取れていた。
私はここに、かつて撮影した御神体の写真を奉納したかったのだ。
社殿は崩れたとしても、山の上の御神体(石神社)は無事だろう。
麓の神社は全てを失ったが、せめて御神体の写真を励みにして欲しい。
その想いから、写真の奉納を思い立った。

雄勝 葉山神社 石神社


葉山神社にたどり着くと、千葉宮司が待っていた。
久々の再会。
去年の訪問後、国立劇場の法印神楽の公演でお姿を拝見したが、
直接お会いしたのは二度目だった。

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身体的には特にお変わりはない様子、とはいえはっきりと落胆の様子が伺えた。
話は自然と被災時ことになる。
葉山神社の大浜集落では、避難所は公民館の施設となっていた。
千葉宮司ご一家は山に逃げたそうだが、町場の人は公民館を目指して逃げた。
しかし、前代未聞の大津波。
山から町場の、公民館毎飲み込まれるのが見えた…。

不幸中の幸い。
町場の人たち公民館に逃げたものの、鍵が閉まっていて入れなかったらしい。
その場を諦め山に逃げたのが幸いして、多くの人が助かったとのことだった。

かつて参詣した神社を見る。

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無くなりはしなかったものの、天井まで水に浸かり、再建を余儀なくされた。
社殿の前に立つと、浮き上がった床板の隙間から猫が飛び出してきた。
御神体は持ち出して難を逃れたとのこと。
低い位置にあった社務所は流され、湾の向こう側で発見されたそうだ。
法印神楽の道具も同時に流されたが、古い道具がご自宅に残っているとのこと。
神楽を司るのは何と言っても神楽衆だが、ほとんどの神楽衆が無事であったという。
ほとんどは……。
ただ一人、長に当たる人が、体の悪い家族を守って逃げなかったという…。

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葉山神社には引っ切り無しに人が訪れていた。
神楽衆の一員の親父さんも訪れていて、久々の再会に話が弾んでいた。
こんな状況でも地元の人の篤い崇敬の念が感じられた。
いや、こんな状況だからこそか。
千葉宮司の家は、中世に雄勝に流れ着いてこの土地を盛り立てた家。
その祖神を祀るお社が祖王神社として鳥居の脇に鎮座しているのだが、
不思議なことに、海に沈む以前と寸分違わぬ姿で鎮座していた。

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写真左が祖王神社。
やはり神社というものはなにか大きな力に守られているのだと確信した。


ふと梢を見上げると、お守りが引っかかっていた。

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社務所で配っていたものだという。
津波に流されても留まるお守り。
これを我が身の守りに譲ってもらった。

雄勝への道は19時に封鎖されるという。
街灯もなく海と道との境もない状況なら当然だろう。
名残惜しいところだが、そうは言っていられない。
御神縁に預かった以上は、神社の再興を見守りたいと心に誓い、 
銀山温泉への帰路についた。

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   * * *

その後。
銀山温泉のKが支援運動を立ち上げた。
温泉のお湯を被災地に届けようタンクローリーを手配し、
雄勝の避難所に入浴支援に駆けつけたのだ。
避難所では建設会社が置いていった五右衛門風呂があるものの、
実施風呂に浸かるまでは出来ず、2ヶ月間掛け湯だけで過ごしてたそうだ。
出張温泉は人々の癒しになったことだろう。
私は二人を引き合わせただけに過ぎないのだけど、
このような草の根の支援に少しでも役に立てたことを嬉しく思った。
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