2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



千葉市稲毛区の検見川神社管理の甲大神で、
御神木を宅地業者が伐採したそうだ。
業者が神社敷地隣の土地に住宅を造るにあたって、
境内からはみ出した枝だけを切り落とす許可を取っていたのだが、
神主の知らないうちに、境内の御神木を何本も切り倒したとのこと。
中には樹齢200年の大木もあった。
法的に訴えるという神主に対して業者は、
「弁護士に頼んで同じくらいの樹齢の木を探している、
それを移植するつもりだ」と語っていた。

http://meta.cdn.yahoo-streaming.jp/cgi-bin/yahoo/news.asx?cid=20070130-00000517-fnn-soci-movie-001&media=wm300k


先日起こった事件らしい。
リンク先にも動画があるが、関係ない御神木まで伐採され、
鎮守の森が随分スカスカになってしまっていた。

この日記でも何度か盗難や文化財破壊の記事を題材にしているが、
今回もまた酷い話である。
恐らく日当たりの問題なのだと思うが、
開発のために土地の歴史を破壊するのはいたたまれない。
もはや、祟りや畏れなどという感覚は、
人の感情から薄れていっているのだろうか。


御神木というと、去年の秋に見かけた立派な御神木がある。
日記に書きそびれてしまったのだが、
良い機会なので書き留めておこう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

とある秋の日、甲州一宮浅間神社に参ったのだが、
そこで元宮の存在を知った。
現在は山宮神社と言い浅間神社の摂社、
祭神は大山祇命と瓊々杵尊の二柱。
浅間神社の祭神、木花咲耶姫命の父親と旦那である。
垂仁天皇の時代、富士山が大噴火を起こした。
その原因を、富士山を祀る駿河浅間神社の怠慢とし、
富士山の北の甲斐の国でも浅間神社を祀るべしとの勅使のもと、
現在の山宮神社の位置に、浅間神社を創建したのだ。
だがそれでも天変地異は続き、
改めて現在の一宮浅間神社の位置に遷宮して、
やっと災害は収まったのだという。

061023_7351.jpg


山宮神社を訪れた時はまだ朝露に靴を濡らす頃合いだった。
一宮の巫女の説明では、熊が出るから気をつけてとのこと。
その説明に違わず、一の鳥居の先には害獣除けの柵があった。
この先は人気のない山道なのだ。
狭いが車でも通れるとのことだったので、柵を開けて突破。
とても歩いていく気にはなれないが、
かといって車で通るのも大変な道。
四駆でなければスタックしていたことだろう。

061023_7362.jpg


幸い、何事もなく参道の階段近くまで車で行くことが出来た。
正直なところ、かなり心細かったのだが、
勇気を出して薄暗い参道を登る。
暫くするとパッと目の前が明るくなった。
覆屋の社殿だ。
いまだ朝霧に包まれる社殿は、神秘的な趣がある。
奥の春日造りの本殿は室町時代のものだという。
拝見しようと裏に回ると…




061023_7403.jpg


驚いた。
なんと立派な御神木なのだろう。
根本が繋がった大きな杉。
夫婦杉とされているが、
ここ山宮神社の祭神は義理の父と婿殿。
お嫁さんは山を下りて街に鎮座しているのだ。
とはいえ、火山神である浅間大神、もしくは浅間大菩薩が
木花咲耶姫命になったのは比較的新しい時代なのだそうで、
山宮の祭神も後付なのだろう。
理屈ではない。
この地には祀られるべき気が漂っている。

それにしても大きい。
樹齢はどの位あるのだろう?
他を圧倒する大きさ。
周りは遠慮してか大きな木は育っていない。
ひっそりとした山中で、巨木の息吹が聞こえてきそうだ。

素晴らしい光景だった。
心が清らかになっていった。
御神木には、土地と、人々と共に生きてきた尊厳がある。
巨石が時間を超越した存在なら、
巨木は土地の時間そのものである。
巨木にそっと耳を当て、脈動する時間を感じずにはいられなかった。



スポンサーサイト

今日のワンコ。


070129_7939.jpg


武田家菩提寺、恵林寺脇の民家の柴犬である。
観光客慣れしているのか、頭をなでたらお腹を見せた。
「もっとなでるワン!」
と言っていた。
かわいい。




070128_8051.jpg


天目山の八大龍王神社の甲斐犬。
口と胸の周りが白いから、ちょっと違う血も混じっているのか。
石段を登ると激しく吠え立ててきた。
しかも首輪なし。野犬かと思った。
わずかににシッポを振っているが、
歓迎してくれているようには見えない…
犬をあやすのは得意な方だが、ちょっと危険な気がしたので、
手は出さなかった。
忠犬として名高い甲斐犬。
見知らぬ者を寄せ付けないのか、
それとも柴の臭いが気に入らなかったか。

甲斐の飼い犬も様々である。

今年の初詣は、諏訪大社上社本宮に参った。
妻の実家から車で5分、のところが30分以上掛かってしまった。
元旦のお昼時なので大渋滞だったのだ。
徒歩でも行ける距離なのだが、その日は二人とも着物だったので、
車にしたのが大失敗。
這々の体で車を停めたのだ。
だが、案の定諏訪大社も初詣客で一杯。
諏訪大社は、大きな東鳥居の通りに屋台が沢山出ているので、
参道には溢れかえるばかりの人人人。
その参道の先には拝殿まで続く行列。
こりゃダメだ、と我々は、北鳥居から境内に入る。
ちなみに、すっかり裏道になってしまっている北鳥居だが、
諏訪湖にの方角の北鳥居こそが、正規の参道とする説もあるのだ。

境内ではやはり列に並び、一年の無事を祈る。
いやはや、普段は閑散とした神社ばかり参っているので、
すっかり疲れてしまった。



061217_0448.jpg


さて、本題はその閑散とした年末の諏訪大社。
早朝に上社本宮に訪れた時のこと。
人もまばらな境内で、神職たちが掃除に勤しんでいた。
拝殿の斎庭ゆにわの掃除に入る前に、
皆で集まって並んだ。どうやら祝詞をあげるらしい。
拝殿に向かって祝詞をあげたその直後、
くるっと”右にならえ”、拝殿横の山に向かって、恭しく頭を下げた。

これこそが、諏訪大社の真の御神体、硯石なのである。

061217_0449.jpg


山の手前に木の玉垣で囲まれた岩があり、
この岩を硯石と呼ぶ。
本来はこの硯石に向かって参拝していたのだ。

このことは、江戸時代初期、織田軍に焼き討ちされた上社を、
徳川家康が再建した際、まずこの硯石の正面の門を、
再建したことがポイントだと思う。
慶長13年(1608)再建の、この「四脚門しきゃくもん」は、
現在残る社殿の中では一番古い建造物なのである。

何時のまにやら硯石を脇に見る場所に拝殿ができてしまったのだが、
これは、現人神とされた大祝おおほおり諏訪氏の居館である、
諏訪大社上社前宮を崇拝対象にしたものであろうか。
大祝諏訪氏は、諏訪では絶大な権力を持っていたのだが、
諏訪氏が権力を握る前は、本宮の西隣、
つまりは磐座いわくらである硯石と、
その背後に控える守屋山を御神体にしていたと考えるのが、
自然なのである。

現在の境内配置では、東鳥居の南にひっそりと修験門があり、
修験門から真っ直ぐ進むと四脚門、その正面に硯石がある。
人知れず、守屋山崇拝の道も確保しているのだ。



私は、元旦の初詣の際、誰も通らない四脚門から、
守屋山に向かって頭を下げたのであった。






Design by mi104c.
Copyright © 2007 風と土の記録, All rights reserved.




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。