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2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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私の住んでいる川崎市一帯は、
かつて橘樹群(たちばなぐん)と呼ばれていたそうだ。
今日は、近所の話でもしてみようと思う。


弟橘媛(オトタチバナヒメ)をご存じであろうか?
神話の時代のスーパーヒーロー・ヤマトタケルノミコトに嫁ぎ、
東京湾の藻屑と消えた悲劇の姫君である。
橘樹郡は、この姫君にまつわる話が由来となっているのだ。

神話では、日本武尊はクマソタケルやイズモタケルを征伐した後、
再び父親の景行天皇によって東国征伐を命じられる。
再三の外征命令にヤマトタケルは、父親に嫌われているのかと嘆くが、
母の倭媛に神剣・天叢雲剣と秘密の袋を与えられ、勇気づけられる。
尾張を過ぎ、相模国の手前で、後から追いかけてきた弟橘媛と再会。
だが、その地の土豪に欺かれ、二人は火攻めに合う。
絶体絶命の危機を救ったのが、母にもらった天叢雲剣だった。
剣で周りの草を薙ぎ倒し、袋の中に入っていた火打ち石で、
迎え火をして敵を焼き尽くした。(これが焼津の由来という。)
その後、無事相模国に入った一行が上総に渡る際、
またしても危機が襲う。
走水の海(現在の横須賀)が荒れ狂い、進退窮まってしまったのだ。
見かねた弟橘媛は、自らの身を海に沈め、
荒れ狂う海神の怒りを鎮めたという。
媛は入水前にこう残している。

「さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも」
(相模野の燃える火の中で、私を気遣って声をかけて下さったあなたよ…… )

弟橘媛の犠牲によって無事海を渡ることの出来たヤマトタケルは、
妻の死を悼み、こう詠んだという。

「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」

この詩が、現在の木更津、袖ヶ浦の由来とされている。


さて、入水した弟橘媛のその後はというと…
七日後、媛の櫛が対岸に流れ着いたので、
御陵を造って、櫛を収めたのである。
その御陵を作った場所というのが、橘の地なのである。


    *  *  *


私は先日、その橘樹郡の郡衙(政庁)が置かれていたとされる、
川崎市高津区野川周辺を散策してみた。

多摩丘陵の南の端、今は第三京浜が横切る急峻な丘を、
自転車でキコキコと走り回る。
この辺り一帯からは、縄文時代からの遺跡や遺構が
沢山発掘されているそうだ。
しかも郡衙のあったとされる影向寺は、
白鳳時代末期(7世紀末)の創建だと判明している。
かつては一大聖地として大変な賑わいを見せていたようだ。

今は住宅地として大半が埋まってしまっているが、
それでも辻には地神の社や庚申塔が点在しており、
往時の面影をわずかに留めている。

普段自動車で何気なく通り過ぎる土地も、
改めて自転車で回ると面白い。
とはいえ、丘陵地なのですぐにへこたれてしまう…
犬の散歩の奥様方に不思議な目で見られながらも、
私は目的の場所にキコキコ向かったのだ。

目的の場所とは、橘樹神社。
”たちばなじんじゃ”と読む。
まさしく、弟橘媛を祀ったとされるに
相応しい名前の神社である。

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中原街道と尻手黒川道路の交差する地に、
子母口富士見台という地がある。
前述の野川の隣に位置する住宅街なのだが、
この丘の一番見晴らしの良い場所に、
橘樹神社は鎮座している。

祭神は日本武尊と弟橘媛。
御神体も、夫婦の二体の像であるらしい。
住宅地のど真ん中にしては、凛とした佇まいで、
思わず背筋をピンと伸ばしてしまう。

境内に入ると(といっても数歩だが…)
嫌が応にも目に付くのが狛犬。
狛犬というとどうしても猛々しいものを想像してしまうが、
この狛犬のなんとも可愛らしいことか。

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狛犬は正確には「獅子」と「高麗犬」
高麗犬とは、高麗または異国の犬の意で、
あくまで犬ではなく神獣だとされているのだが、
これでは可愛いワンコである。

灯籠や石碑に比べてずいぶん新しい印象なので、
最近のペットブームに便乗しちゃったかな?
なんて思っていたが、境内を回ってみて仰天。
明治13年の銘がある、先代と思しき狛犬が、
枯れた御神木を守るように鎮座していたのだ。

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犬の狛犬がある神社に、秩父の三峯神社がある。
三峯山は修験の霊山なのだが、山犬がヤマトタケルを導いた、
との伝承があり、山犬が神使として崇められている。
ヤマトタケル繋がりで、ここ橘樹神社でも山犬を崇めているのであろうか?
一説には、明治の神仏分離令で、神仏習合していた多くの神社仏閣が、
皇室ゆかりの祭神に塗り替えられたという。
そのモチーフとしてよく使われたのが、ヤマトタケルのような、
全国を駆けめぐった英雄である。
もちろんヤマトタケル伝からして作られた伝説と言われているのだが、
そうした万人受けする祭神を祀ることで、
俗信を取り除き、皇室を崇めるシステムを作っていったのであろう。
ここ橘樹神社とて、その影響を受けてないとは言い切れない。
だが、ヤマトタケルを象徴する場合、真っ先に思いつくのは白鳥であり、
山犬は三峯山の伝承に過ぎず、象徴とするにはいささか力不足の気がする。
当時、明治政府の指導でもあったのだろうか?
モヤモヤしたものを頭に抱えながら、私は散策を続けたのであった。

(続く)




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