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2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

5月6日 

祖谷渓から吉野川に沿って平野部に出た。
徳島県は中央構造線が南北を分断するように走っており、
構造線を流れる吉野川に沿うように、平野部が続いている。
ここまで出てくると、徳島市まではあっという間だ。

国道192号を走っていると、ちょっと気になる寺があった。
その名も「お花大権現・林下寺」。
お花ですか… 大権現ですか…

江口駅を少し過ぎたあたりで、小さな路地に入っていった。
車一台が通るか通らないかといった道だが、
林下寺までなんとかたどり着いた。

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どうもお寺というのは苦手である。
私にとって、神社は開かれている公園のような感覚だが、
お寺は他人の民家の敷居を跨ぐような、そんな感覚がある。
お花大権現は、まさしくお寺のそれであった。

楼門には、訪問客は鐘を鳴らせと書いてある。
ゴーーーーン、と響かせると、住職が出てきた。

住職がまず案内してくれたのが、お花大権現のお堂だった。
お花(愛称、お花はん)とは、今から約300年前の実在の人物で、
殿様の目がかかり側室に取り立てられ寵愛を受けていたが、
他の女中たちの嫉妬を買い、殺されてしまったそうだ。
哀れに思った殿様が城内に祠を建てて祀ったのが始まりである。
大正2年に鉄道敷設のために、現在の場所に移動したそうだ。


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お花大権現のお堂内は、性器であふれかえっていた。
お花はんがなぜ性の神様になったか、その経緯は分からないが、
参拝客は四国に限らず、本州からも人が訪れるという。
祈願の奉納は勿論のこと、行き場の無くなった神像たちもまた、
保護者のもとに集まって来るのだ。
これらの神像は、あまりにも分かりやすい形のため、
地域住民の信仰心が無くなった時点で、
ワイセツな俗信と見なされるのだろう。
こういった陰陽像を祀る神社仏閣は、
なぜか大抵沢山のコレクションを持っている。
中には明らかに管理者の趣味だろ!
とツッコミたくなるような資料館もあるが、
お花大権現は趣味に走らずw、
信仰に基づいた奉納物を中心とした資料館を持っていた。

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資料館で真っ先に目がいくのは、等身大の弁財天裸像。
薄絹一枚で無数の男根に囲まれている姿は、
艶めかしいを通り越して妖艶である。
前言撤回、やはりこの配置は住職の趣味の世界なのか(笑)?
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5月6日。

祖谷渓から吉野川本流に戻ると、
そこが大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)である。
大股で歩いても小股で歩いても危ない、
という救いようのない名前の付いた渓谷で、
その上雨でぬかるんでいるので、ちょっと近づき難い…

大歩危小歩危の主立った場所は通り過ぎ、
その先にある賢見神社に向かった。
ナビで見ると、簡単に行けそうなのだが、
その実は吉野川沿いの急峻な崖の上だった。
しかも麓には、通行止めの看板が…

諦めきらずに、細い道を登っていく。
集落もチラホラとあるので、通行止めというのが信じられなかったが、
しばらく行くとその理由が分かった。
落石があったらしくい。
道のど真ん中に落石防止のバリゲートが建っていた。
ただ、直前の通行止めの看板は伏せられている。
通れるのか!?

車の幅をギリギリ開けて建っていたので、
10mほどのバリゲートをそろそろと通過。
妻からは大顰蹙を買ったが、まぁ良くある話だ。

バリゲートを通過すると、後は順調そのもの。
しばらく行くと賢見神社の駐車場にたどり着いた。

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明らかに下界と違う。
雲が下にあるのだ。
「ほらほら、和製マチュピチュだよ」
なんて冗談を言ったら呆れられた…
マチュピチュじゃないにしても、
これは険峻な山城のような佇まいだ。
阿波の山岳武士というのは、
こういうところに拠って戦ったのだろうか。


駐車場からは5分くらい歩く。
賢見神社にたどり着くと、すごい雨になってきた。
どうやら自分たちが雨雲の中に入ったようだ。
そんな天気にもかかわらず、神社は賑わっていた。
特にお祭りでもないのに、家族連れが3組ほど居て、
子供達が雨よけのテントの中ではしゃいでいた。

本殿は境内すぐの場所にあり、
たどり着いた時にはちょうど祈祷を行っていた。
神前には奉納品が隙間無く並び、その奥が見えないほど。
賢見神社の邪気退散の霊験は西日本随一
といわれているそうだが、その為だろうか。

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本殿からさらに山中に入った場所に、奥宮がある。
途中までは山を下る形になるので、雨で滑って大変だった。
奥宮に近づくにつれ、六地蔵、水子地蔵、不動明王と続き、
奥宮の横には水行場があった。
ここは神仏習合の修験場だったのだ。
行者は居なかったが、沢蟹が修行していた。

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5月6日。

前日夜に高知城のお膝元で夕食を食べた私たちは、
その後、祖谷渓に急いだ。

高速のETC割引が午後8時までなら使えるのと、
祖谷渓の温泉の営業時間に間に合わせるためだ。

ここで急がずに、翌日物部村を見に行く、
という選択肢もあったのだが、それはあまりにマニアックすぎて、
細君のゴキゲンを損ねてしまう…ので、四国の定番観光地、
祖谷渓に向かったのだった。

道の駅「西祖谷」は、祖谷秘境の湯に隣接しているのだが、
道の駅自体はとても小さく、車中泊にはちょっと向いていな買った。
だが、夜も遅く、しかたがないので駐車場の隅で泊まる。


翌日は、雨は小降りになっていたが、
全体的にしっとりとした天気。
これは四国に居た間、ずっとそうだったのだが、
かえって幽玄な雰囲気を醸し出していて良かったのかもしれない。

午前中は、「かずら橋」へ。
祖谷渓といえばここというほど有名スポットだ。
私は昔来たことがあるらしいのだが、良く覚えていないので、
改めてみると、想像していたよりも
ずっとスケールが大きくて驚いた。

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かずら橋は、平家の落ち武者が、
追っ手が来たらすぐに落とせるようにと、
かずらで編んだのが始まりらしい。
そう、この四国中央部の山岳地帯には、
平家の落ち武者伝承が存在するのだ。
いや、伝承というか、実際に史跡が残っている。
安徳帝の侍医を務めた堀川氏なる人物が、
落ち延びてこの地に至ったときに、
辺りに薬草が沢山生えていることに気がつき、
この地で医者を務めながら定住したというものだ。
堀川氏を含めた平家の落ち武者達が、
時代を経て阿波の山岳武者と恐れられるようになり、
その後、戦国前期最強を謳われる阿波三好家の
天下掌握の礎となっていくのだ。

まぁそれはいいとして、かずら橋は怖かった。
何とかは高いところが好きというように、
私もその何とかに分類される類なのだが、
それでも怖かった。何が怖いって、
足下が濡れてツルツル滑るのだ。
さすがに落ちることは無いとしても、
片手に傘、片手でカメラを押さえて渡るのは相当怖かった。
やはりこういうところは身軽にして行くべきだったようだ…



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