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2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
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5月7日午後

「女人禁制!?」

舟木の石上神社を探して、集落で道を聞いた時の話だった。
庭の囲いの中に子牛が気持ちよさそうに寝ころんでいる一軒家、
奥から出てきた女性は確かにそう言った。
その戒めゆえに、石上神社の境内の中は、見たことがないと言う。
今の時代に女人禁制の戒めを守っているとは…
石上神社は境内100平米もない、小さな神社なのである。
田舎の集落の小さなお社と何ら変わらない、
そんな規模の神社である。

案内通りに車を走らせ、石上神社にたどり着いた。
一般向けの地図もナビも、この位置を
正確に示すことは出来なかった。
そんな辺鄙な場所にも関わらず、この場所は一部の業界から、
非常に注目されているのである。

1970年代、奈良の写真家 小川光三氏が発見した
『太陽の道』なる日本版レイライン。
80年にNHKの特集が組まれたこともあり、
一気に有名になった説だ。

すなわち、石上神社、伊勢久留麻神社(淡路)、
大鳥神社、日置荘(大阪)、
二上山、箸墓、三輪山、長谷寺、室生寺、(奈良県)、
倶留尊、堀崎山、伊勢斎宮跡、神島(三重県)。
北緯34度32分の線で、これら古代からの聖地が結ばれるという。


鳥居前には確かに、女人禁制と掘られた石碑があった。
妻には車で待ってもらう。
というより、暑いから外に出たくないようだ。
この旅で、少しでも遺跡のおもしろさを知ってもらおう
と思っていたのに、まるで興味を持たないのは
いかんともしがたい。

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鳥居をくぐって30mも行くと、
左手が少し盛り上がった林になっていた。
そしてイヤでも目につく巨石がゴロゴロ。
参道を行き当たった場所には岩の積み重なった窟があり、
窟を利用して祠が設けられていた。
祭神は由緒書によれば天照皇大神と大日如来。
といっても、ここに限らず古来からの信仰の地では、
固有名詞の神を祀っている、という感じはあまり受けない。
もともとあった現地の太陽信仰に、記紀などで語られた神を
当てはめた結果が現在の祭神なのであろう。
(逆に、氏族神を祀った古社は、それに当てはまらないが…)

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左手の林に入ると、思わず目を見張った。
ある一つの石だけに、木漏れ日が降り注ぎ、
あたかも後光が差しているようだった。
この石は膝丈くらいの、ほんの小さな石なのだが、
祭壇が設けられ、背後の地面に御幣が何十本も刺さっている。
この御幣には何か特別な意味があるのだろうか。
これと同じ例は、富士青木ヶ原の魔王天神社で見たことがある。

ともあれ、なにやら重要な意味を持っていると思われる、
この石の光景は美しく、私は無心にシャッターを切った。
写真の善し悪しは9割がた光で決まる。
被写体と光と撮影者、その3つ波長がぴったり重なった瞬間、
その共鳴のピークの一瞬こそが、決定的瞬間なのである。
土門拳はそれを、「仏像は走っている、猛スピードで。」と表現し、
ブレッソンは「逃げ去るイメージ」と表現した。
スタジオでそれを作り出すのは簡単だが、
こういった旅での出会いは、まさしく神のさじ加減次第なのである。
案の定、しばらくすると木漏れ日は消え、
二度と光は差さなかった。
とある神職者に、神社や御神体を撮るのは
失礼に当たらないかと聞いたことがある。
曰わく、「心配しなくても失礼な時は写真に写らない」と。
まさにそうで、軽い気持ちで撮ったときなど、
予想外にぶれていたり、不思議な光が入ったりと、
ちゃんと写らないことがたまにある。
私は常々、写真は依り代であると言っているが、
まさにそれは、こういうことを指す。
だからこそ、撮影するときは姿勢を正し、
祭神にお参りし、その上で撮影するのだ。
(それに限らず、写真には対象以外に
 自分の人柄や人生自体も写りこむので、
 普段から身を律しておく必要はあると思う。)
余談が過ぎたが、つまりは聖地や御神体を撮影するようになって、
このような出会いを非常に意識させられるようになったと思うのだ。


林の中には、巨石がゴロゴロとしていると書いたが、
それにどれほどの意味があるのかはよく分からない。
祭壇が設けられている石は、先の光の石だけで、
他は石自体には祭壇はなく、一ヶ所、
過去に祭壇があったっと思われる巨木があった。

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巨木と言っても伊弉諾神宮のものと比べれば、
たいしたことはないのだが、雑木林を突き抜ける故に、
枝分かれした幹の一点に光が集まり、
なにか神々しい雰囲気を発していた。
祭壇は朽ち果て、わずかに痕跡が残る程度なのだが、
何故放棄されたのだろうか?
過去のブーム時に持てはやされても、
今は忘れられているのだろうか。
余計なお世話かもしれないが、それはあまりにもわびしいことだ。


神社は集落の全体の最高点に位置し、
巨石群の先は下り坂になっている。
林の途中で境内を縄張るロープが張り巡らされ、
それ以上は足を踏み入れても何も無いようだ。
引き返して、巨石群を隈無く見て回った。
ネットで仕入れた情報で、印象的な巨石があったのだが、
それがどうしても見つからなかったのだ。


慎重に探したところ、その石は、先の御幣を背負った石の
すぐ斜め後ろに、背中を合わせる形で見つかった。
どうやら前情報の写真とずいぶん雰囲気が違ったので、
うっかり見落としていたようだ。

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思っていたよりも大きな岩の組み合わせで、
岩に挟まれた丸い石も、一抱え以上の大きさがあった。
その石は、3つの石の組み合わせで構成されている。
それが何を表しているかは、言わずもがなであろう。
女人禁制とされるからには、石上神社の祭祀は男性のみで行われる。
そのような祭祀故に、このような石組が意味を持っているのだろうか。
もしくはその逆か。

由緒書によると、石上神社は「日を迎える座」
(朝日に向かって祭事を行う)であり、
今でも祭事が早朝に行われていることが、その証だとされている。
『太陽の道』は奈良の三輪山を中心に、東西に延びているという。
その西の果てが、「日を迎える座」である理由は分からないが、
この地がなんらかの古代祭祀の痕跡を、
今も伝える場所であることは確かである。

林の中の石組みは、ある点を中心に放射状に構成され、
その中心には、巨石群の中でも大きめの石が輪になって並び、
中心と思われる空間を護るように配置されていた。
この構成は、同じように古の祭祀跡とされる場所で、
よく見かける配置である。
実際見た中では、井伊谷の天白磐座や山梨の山梨丘神社で、
顕著にこの配置が見られた。
天白磐座では、時代別の考証もされており、
どうも仏教以前には、この石に囲まれた空間を
神の降り立つ聖域として、少し離れた場所に祭壇を設ける、
つまりは石上神社と同様の配置を取っていたことが分かっている。
天白磐座では、時代が移るにつれ、中央の聖域が祭祀場になったり、
経塚に利用されたようである。
ここ石上神社では、この聖域の扱いはどうなっているのだろう?
付近からは弥生時代の遺物が出土されているらしい。
今後の研究に期待。

古い伝統を色濃く残した石上神社、
これからも朽ちることなく脈々と伝わって欲しいものである。
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5月7日

前日午後から7日午前は、徳島の誇る天下人、
三好一族の史跡を周った。
午後、とうとう四国を離れることに。
四国を離れる日になって、やっと空がカラッと晴れ渡った。
四国の旅は雨模様。だが、それはそれで良かったと思う。
いまだ神秘に包まれているという四国内陸部を、
霧雨と靄の中に幻想的に浮かび上がらせてくれたのだから。

7日は本州に渡り、一気に和歌山まで抜けたかった。
だが、淡路島の下道など滅多に走ることがないのだからと、
鳴門大橋を渡った途端に高速を降りてみた。

晴天の島の道は気持ちいい。
近畿の都市部はもうすぐそこなのに、
陸続きでないというだけで、ずいぶん本州とは雰囲気が違う。
淡路の東岸をひた走り、一宮伊弉諾神宮にたどり着いた。
海岸の県道33号が郡家川を渡ると、
一宮に向かう88号と交叉する。
その先の平けた土地に、伊弉諾神宮が鎮座しているのだ。
通称、幽宮(かくりのみや)。
国産みの後、淡路のこの地に宮を建て、隠れ給うたという。

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一の鳥居から拝殿まで真っ直ぐ、
白い砂利敷きの参道が続いている。
聖域全体の気配というか、空気がとても清々しい。
こういう場所に行き当たると、とても気分が良い。
世の人はこれをヒーリングというようだ。

随神門の手前には池があり、ちゃんと参道に橋が架かっている。
池の小島には巌島神社。亀が何匹も甲羅干しをしていた。
脇ではアヒルがぷかぷか浮いている。
のどかなものだ。

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随神門を潜ると、巫女が拝殿に向かっていた。
私は巫女萌え気質では無いのだが、
やはり巫女が写ると画がしまる。
後を追って行くと(*決して怪しい人ではない)
拝殿で昇殿祈願の儀が執り行われるところだった。
手早く参拝を済ませ、祈願をのぞき見。
私は祝詞の格調高い響きが好きで、
人の参拝をよく脇から覗くのだが、
今回は良いものを見させてもらった。

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祈願の際に、雅楽の調べに合わせ、巫女舞が奉納されたのだ。
右手に御幣、左手に鈴を持って舞うのは、先ほどの巫女だろう。
本殿に向かい、ゆっくりと周りながら、
シャン、シャン、シャン、と鈴を鳴らす。
優雅な舞についつい長時間うっとりとしてしまった。
伊弉諾神社での体験は、時間を超越して神代に迷い込んだような、
そんな気分に浸ることの出来た、貴重な時間だった。

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それが神代でも古代もなく現在だということは、
境内にある大楠の御神木が証明していた。
樹齢はどのくらいだろうか。
古代から延々と繰り返される当地の神事を、人々の暮らしを、
ずっと見守ってきたに違いない。
淡路島がなぜ国産み神話で一番最初に生み出されたのか、
その答えはもはや歴史の闇の中だが、
そのような記念すべき島の一番重要な土地が、
ここ伊弉諾神宮なのであろう。


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