FC2ブログ

2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

5月8日夕刻。

熊野速玉神社は観光客であふれかえり、
とても居たたまれなくなって、熊野元宮と言われる神倉神社に向かった。
速玉神社と神倉神社は神倉山の山道で繋がっており、
距離もそんなに離れていない。
実は過去に一度訪れたことがあったが、
その頃はまだ神社にはさほど興味がなく、
ただ名所と言うことだけで速玉神社を訪れたのだった。
その時に、山道に迷い込み、偶然たどり着いたのが、
神倉神社だった。
その時見た神倉神社の光景は、私の脳裏に深く刻み込まれた。
いずれまた訪れてみたいと思っていた場所であり、
私にとって、熊野散策の真の目的地とも言える場所であった。

そんな思いを胸に、今回は山道ではなく道路を通って
神倉神社にたどり着いた。
正面から訪れたのは初めてだったのでうかつだったが、
源頼朝寄進と言われる鎌倉積みの急勾配の石段が待ちかまえていた。
これはキツイ。案の定、妻は根を上げて車に戻ってしまった。
山の神の機嫌を損ねると後が怖いのだが、
せっかくここまで来たのだ、私は一人で先を急いだ。

石段を登っていくと、途中で道が分かれていた。
おそらく、以前来たときは、この分岐の
どちらかを辿ってきたのだろう。
これは間違えると速玉神社まで歩くはめになってしまう。
迷っていると、向かって左の石段に、
青い鳥が降り立つのが見えた。
きれいな鳥だったので、引き寄せられるように近づくと、
ちょっと飛んでは、また石段の先に降り立つ。
どうもこれは、導かれているとしか思えない。
ここは熊野、八咫烏ではないけれど、
鳥の導きには従うべきだろう。

20070508-170934.jpg


青い鳥は、私が進路を決めると、
納得したように飛び去っていった。
(最近この手の話が多いなぁ(^^;)
 でも誇張ではなく本当なのだ。)

急勾配の石段を登り切ると、一気に汗が噴き出してきた。
岩を削りだした手水舎で手を洗い清め、
玉垣に囲まれた空間に足を踏み入れた。

およそ神社の境内とはかけ離れた空間。
切り立った崖の上に、巨大な岩がずしんと座り、
その上にさらに丸い大岩数個が、どすんと置いてある。
転がり落ちたらひとたまりも無いだろうが、
推定創建年代128年頃、いやそれ以前、
神話で言うところの神武東征以前から、
この光景は変わっていないようだ。

20070508-172706.jpg




土台の巨大な岩は袈裟岩、上に乗っている岩はゴトビキ岩。
ゴトビキとはヒキガエルの方言で、
岩の形がカエルが座った形に似ているということである。
またの名を”琴引岩”とも言うらしい。
琴と言えば、古代には神託を受ける際、
琴の調べが重要な意味を持っていたようだ。
三韓征伐の際、仲哀天皇が神託を信じられず、
琴を弾く手を止めてしまったことが思い浮かぶ。
もしかしたら琴引岩という名は、
そのような神事の名残なのかもしれない。

20070508-172058_1.jpg


注連縄を張ったゴトビキ岩の周りには、
同じくらい大きな岩が並んでいて、
その中の3つに囲まれた、ちょうど畳1畳分ほど空間に、
白い石が敷き詰められていた。
どこからどう見ても、これは宗教的行事に使う空間だろう。
熊野速玉神社に属する修験者の集団、神倉聖の本拠が、
この神倉神社なので、修行に使われていたのかもしれない。
3つの岩に囲まれた閉ざされた空間は、
私の最も好きな磐座の形態で、
これまで幾例か目の当たりにしてきたが、
白い石が敷き詰められ、現在でも使われていそうな
雰囲気を漂わせているのは、ここ神倉神社が初めてであった。
むろん、前回訪れたときには、この空間には気が付かなかった。
まだ早い、ということだったのだろうか。

ゴトビキ岩の前に立ち、眼下に広がる熊野灘を見渡す。
気持ち良い風が吹き抜けた。
熊野攻略に行き詰まった神武天皇は、天磐盾に登ったという。
その天磐盾こそが、この神倉山だと言われている。
眼下に広がる広大な熊野灘は、
神武にとっては、自分が辿って来た道であり、
唯一の退路でもあった。
危機に立たされた神武は、どういう気持ちで
熊野灘を眺めたのであろうか。

風があまりに気持ちがよいので、
海に向かって石笛を吹いた。
古代の調べとも言われる石笛の甲高い音が、
辺り一面にこだまする。
時の流れがこの空間だけ止まっているような、
心地よい錯覚に包まれた。

20070508-173024_1.jpg


スポンサーサイト




5月8日


熊野本宮から海辺に出て、国道42号線を南下、
補陀落渡海の捨身行で有名な補陀洛山寺から、
那智川沿いに山間部に入っていく。
つづら折りの山道を経て、わずかなスペースの駐車場に至る。
運良く先客の一台が出て行ったので、
すんなりと駐車場に入ることが出来た。


飛瀧神社(ひろうじんじゃ)。

鳥居をくぐると、参道は下に向かっていた。
樹齢を重ねた大木に囲まれた参道は、
参拝者の気持ちをぐっと引き締める。
決して広い境内ではないが、
何か”気”のようなものが漲っているのが肌で感じられた。
耳の奥で、轟音がこだまするような気にもなってくる。

参道を降りきると、開けた小さな空間に社務所が建ってた。
社殿はない。
広場の先端に鳥居があり、そこから仰ぎ見るようになっているのだ。



20070508-144738.jpg



圧倒的な迫力だった。
遙拝所から沢の斜面を隔てたその向こうに、
ドドドドドドドドドドドドドドドド・・・
と水が落ちている。
霧と化した御神水が気持ち良い。
森の木々の隙間から漏れた光が、
滝の前の岩に降り注いだ。
私に撮れと言わんばかりだ。
すかさず撮った。
しばらくして光は消えた。


御幣で祀られた岩は、正確な由来は分からないが、
本来は岩が祭壇そのものだったのだろう。
時には神懸かりになり、岩に乗って滝と対峙したかもしれない。
大いなる滝を背負い、民衆達に神託を降す指導者、
そのような神々しい光景が目に浮かんだ。

熊野那智大社に属する飛瀧神社は、
神仏習合の時代、天台宗那智山青岸渡寺を中心に行われた、
那智四十八滝回峰行の一の滝とされている。
残念なことに、明治初期の神仏分離令・修験道廃止令によって、
厳密な秘密主義で、口伝を主とする那智滝行の行法作法は、
ほとんど失われてしまったという。
1991年、これら失われた那智四十八滝回峰行は、
わずかに残された古文書や古地図によって、
地元の有志たちがなんとか復興させたのが、
せめてもの救いである。

熊野信仰が都の貴族の間で広まったのが平安中期以降だが、
伝承でいう天竺より来た裸形上人による開基が仁徳天皇の時代。
遡って神武天皇の東征の成功の決め手とされた場所も熊野。
よほど熊野は重要な位置を占めていたらしい。
そもそも熊野の”熊”の字には
”神”の意が含まれているという。
宗派も教理も無い時代、畏るべきは人の理解を超えた
大自然の現象であり、その意味で那智の大滝は
充分その対象となるに相応しい迫力を持っている。
これに神を見ずとして、果たして何に見るというのか。

東征時、土地の神の毒気にやられ、危機に陥った神武一行。
見かねた天上界の神々は、救いの手をさしのべた。
高倉下神の倉の屋根を突き破り床に突き立った、
霊剣布都御魂剣を授かったことによって、
神武も兵たちも士気を挙げ、辺りの敵を打ち破ったという。
私には天から剣が降ってくるイメージが、
どうしても那智の大滝のイメージと重なる。
いや、剣でなくても良い。
神武達を励ます何かが、熊野の地で降ってきたことは
確かなことなのだろう。


ハンカチ王子、ハニカミ王子と、
世の中王子様であふれかえっている昨今である。
愛称が付くことは、それだけ注目されているということだし、
必然的にメディアの露出も増え、ファンも増える。
世間がそれに踊らされ過ぎている気も少しするが、
まぁ世の中に明るい話題を振りまいてくれる彼らの笑顔は、
何物にも代えられないだろう。
それにしても、ポッチャリ王子はあんまりだと思う。

だが、現代に匹敵いやそれ以上の王子ブームのが10世紀の日本にあった。 



5月7日

淡路島から本州に渡った我々は、神戸で昼食、
楠木正成公を祀る大湊神社でお参りをし、
一気に大阪を抜けた。

実家に戻って近所の大鳥神社(太陽の道の途中に当たる)
に寄ってみるかな、と思ったが、一般道のあまりの混みように、
そのまま高速で大阪を抜けてしまった。

松原でおり、九度山経由で下道を走る。
目的地は熊野三山。
せめて山深い紀伊山地の気分だけでも味わおうと、
高野山から大塔に抜ける山道を使ったのが間違いだった。

高野山金剛峯寺に着いた時点で、もう辺りは真っ暗。
幸い金剛峰寺はライトアップされ、
迫力満点の光景に妻は満足したようだが、その後が大変だった。

ナビで見ても地図で見ても、どう見ても一度和歌山の海辺に出て、
田辺から山に入る道が大きいし早い。
スーパー林道みたいなのも有るが、やたらと高いし、
ナビがその道をどうしても避けたがる・・・

と言うことで、一度山に登ったのをまた降りるのは癪なので、
街頭もほとんど無い国道168号線を時間にして約4時間、
ひたすら走り続けることになったのだ。
世に聞く大塔村の空気に触れてみたかった、ということもあるが、
ただひたすら山道で、ただひたすら真っ暗闇で、
大変以外の感想はなかった。
いや、星がきれいだったことが、せめてもの救いだろう。


この紀伊山地の巡礼の地全体が、
世界遺産として登録されているわけである。
全ての道が熊野に通ず、とでも言っても過言ではないくらい、
紀伊半島全域に熊野古道が点在している。
かなり険しい山並みに、日本有数の豪雨地帯、
なんとか切り開いた山の道を、雨に流されないように
石畳を敷き詰めて整備したのがいわゆる熊野古道である。
他には道路を敷く場所がないために、
古道を潰して道路にした場所も多々あり、
十津川街道と呼ばれた道が、
今では168号線となっているのがいい例だろう。
以前は、地域と密接した生活路となっていたわけで、
登録後に地域住民との間に色々と問題が発生したことも、
記憶に新しい。


そう言ったわけで、熊野本宮近くにたどり着いた頃には、
へとへとになっていた。
紀伊半島有数の温泉地とはいえ、夜遅くにやっている処はない。
河原を掘って出る温泉に入って、道の駅で車中泊した。



翌日、熊野三山を中心とした熊野古道を散策してみた。

熊野古道でポイントとなるのは、九十九王子と呼ばれる、
古道の途中に点在する神社だろう。
熊野本宮周辺まで来てしまうと数えるほどしか無いのだが、
京都から大阪を経由して熊野まで、
九十九つまり無数の王子が点在する。

王子の初見は11世紀半ばの増基の手による参詣記
『いほぬし(庵主)』にあり、11世紀には既に
王子が成立していたことが分かっている。
王子とは、熊野巡礼道周辺の雑多な神々を、
熊野修験の組織が、熊野に関係する神社として
再編成したものといわれており、修験の守護神は童子の姿、
ということから王子という発想が生まれたという。
むろん、神仏習合の時代なので、王子は神とも仏とも捉えられる。
実質的には、”蟻の熊野参り”と言われるほどに、
狭い巡礼路にひしめき合った参詣者達が、
休憩したり物資補給をしたり、といった場所であったという。


20070508-095054.jpg

本宮でもらったパンフレットを元に、発心門王子へ行ってみた。
熊野巡礼路も大詰めの発心門。
発心とは発菩提心、すなわち仏道に入り、
修行への志を固めることを意味しているという。
発心門とは聖域への入り口を意味しているのだ。
車で乗り付けて、いきなり大詰め、
というのはちょっと趣に欠けるが、仕方がない。
世界遺産登録後は、この発心門王子からのトレッキングコースが
人気があり、徒歩3時間の道を楽しむツアー客が増えたという。
観光ツアーのガイドさんと少し話したが、
世界遺産登録直後は観光客であふれかえり、
中にはミニスカートにハイヒールでトレッキングに来てしまう、
よく分かっていないお嬢さんなんかもいたそうだ。
しかし観光客で賑わったのは一時期だけで、
今ではすっかり客足が遠のいたと言っていた。
最近のユネスコの世界遺産の乱発ぶりは
見ていて苦々しく思うのだが、
一時的な経済効果はあれども、
その後の維持管理や規制に勝るメリットは
果たして有るのだろうか。

20070508-094958.jpg


発心門王子とその周辺の古道をちょこちょこと歩き、
車で他の王子を廻ってみることにした。
水呑王子は荒廃していてよく分からなかった。
その名前からして、水飲み場でも有ったのだろうか。
水呑王子から山を登っていき、頂きにあるのが伏拝王子。

伏拝王子自体は、小さな祠しか残っておらず、
代わりに茶店が営業していた。
目の前には茶畑が広がり、山裾まで見渡せる。
ここから伏せるように熊野本宮を遙拝したから、
伏拝王子の名が付いたという。

20070508-102126.jpg



そして、最終的には熊野本宮に至る。
元の本宮は、熊野川の中州に位置していたが、
明治22年の大洪水により水に呑まれてしまい、
近隣の山の中腹に移った。
現在の本宮は、申し訳ないがあまり魅力を感じなかった。
そのかわり元社地は、現在は「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれ、
川の中州に鎮座する立地、いまだに残る巨木、
だだっ広いままの社地、中央の小さな祠などなど、
私の興味に応えてくれるに十分なものであった。
そもそも、明治までは洪水で社殿が流される
なんてことは無かったわけで、明治の大洪水はは森林伐採による
山の保水力低下が原因である。
川の氾濫を抑えるためにダムを造る、という考えは、
とうてい好きになれないが、一度水に浸かったからといって、
歴史有る社地を他に移すのもいただけない。
愚かな選択だった、とまでは言わないが、
そう言った歴史を経て、今なお元社地に魅力が残っている、
というのは、やはり何かしらの力のある土地だったのだろう。

田圃の中にそびえ立つ大鳥居、
凛としたその姿は、とても好感が持てるものであった。

20070508-083958.jpg




Design by mi104c.
Copyright © 2007 風と土の記録, All rights reserved.