2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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とうとうお舟は神楽殿を3周まわり、
神楽殿の正面で動きを止めた。
神楽殿に向き合うように向きを変え、
五色の布が取り払われた。

どういう展開になるのやら、固唾を呑んで見守っていると、
突然お舟が横に傾いた。


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そして、若連が乗ったそのまま地面に倒れる。
と思ったら、今度は逆の方向から引っ張って立ち直り、
そのまま激しく倒れ込んだ。
曳行も荒々しかったが、最後はそれに輪を掛けて激しい。
さすがは舟を高山に運び込んだ海人族である安曇族の祭である。
下諏訪一帯は、上諏訪よりも安曇野の文化との共通点が見受けられる。
それは、上諏訪が狩猟に由来する御頭祭、
下諏訪がお舟祭を重要視することからも伺えるが、
実際の街の雰囲気も、上と下ではずいぶん違うように感じられる。
御柱にせよお舟祭にせよ、派手で賑やかなのは下社の方で、
上社はどちらかというと、庶民の介入しがたい
神聖な雰囲気をもった神事が多く感じられるのだ。
諏訪湖を巡る文化の違いは、
大げさに言うと古代史の縮図と言えるかもしれなくて、
非常に面白い謎である。

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ともあれ、再びお舟は起こされ、拍手喝采の中、
祭は無事終了した。
これからお舟がどうなるのか、興味はあったがもう時間切れ、
バスの集合時間だ。
諏訪湖が夕日で赤く染まる中、私たちは家路についたのだった。


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辺りが急にざわめきだした。
どうやら偉い人が裏であれこれしてどうこうなったらしい(笑)


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木遣り衆が御幣を突き上げた。
出発の木遣りに合わせ、お舟の若連たちが
手に持った山吹色の幣を空に掲げた。
出発だ。


再び熱気が蘇り、秋宮までの坂を一気に駆け上がる。
しかし、本当はここからが正念場なのだ。
境内に入り、真ん中に位置する神楽殿を3周まわる。
この細かくまわるのが実に大変なのだ。
春宮から街道を抜けて秋宮に至るまでは。
直線の繰り返しだったので、人数さえいれば何とかなる。
しかし、狭い境内に入ってしまうと、
限られた人数で息を合わせないと、まったく動かなくなってしまう。
何しろ、木の固まりを引き回しているのだ。
境内は段差もあれば剥き出しの地面もある。
木遣りと若連と曳き手、皆の息が合わないかぎり、
お舟はぴくりとも動かないのである。

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実に時間が掛かった。
木遣りが鳴り、若連が幣を振るい、曳き手が綱を曳く、
この一連の動作で進むのはたった1メートルにも満たない。
うまく息があったとしても、3メートルも進めば良い方だろう。
怒号が飛び交い、古老が「木遣りに合わせろ!」とか
「木遣りも合わせろ!」などと怒鳴りつける。
お舟に乗る若連は、こうして地域の中で
逞しくなっていくのだろう。

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バスの集合時間の19時まで、あと1時間となった。
義父とバスで来ている以上、それに乗り遅れるわけにはいかない。
お舟は、後1周。果たして、見届けることが出来るのか?
神社側もさすがに時間を制限しているらしく、
曳ききれないことも有るとか無いとか。
最後まで全うできなければ、担当の御頭郷はあと10年、
挽回の機会を持てないのだ。
自然、境内は焦りと緊張に包まれた。
息もだいぶ合ってきたようで、最後の最後にして
驚異の速さで巻き返しに掛かる。
木遣りとラッパと怒号が織りなす混沌が、
一つの目的に向かって統合されていくさまは、
まさに祭の熱狂であり、体中の血が熱くたぎるのが、
心地よい快感と変わっていった。

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続く


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御神霊の乗った長持行列が行った後は、
いよいよお舟祭のメインイベント、芝舟の曳行である。

神楽殿の前のお舟に若衆の面々と木遣り衆が乗り込んだ。
お舟の上と、その前後数カ所に配置した木遣り衆が、
御幣を天高く突き立て、「イヤァァァァァァ」と
独特の節回しの木遣り唄を歌う。
(ちなみに諏訪では、木遣りは歌うではなく鳴くというらしい。)
御柱祭もお舟祭も、すべてはこの木遣りの音頭次第だという。
やはりうまい下手があるらしく、
下手な木遣りではまったく息が合わないそうだ。
「イヤァァァァー 山の神様ー お願いだー」
などと、色々と言い回しがあるようで、
面白かったのは、動かなくなったときなど、
「イヤァァァァァ しばらくー 休憩ー」などと、
歌い手も色々と小ネタを持っていること。
非常に高い声で簡潔に鳴かれる信濃の木遣りは、
情報伝達に最適なのだろう。

YOUTUBEで木遣りの音源を見つけたので張っておく。
http://www.youtube.com/watch?v=9p_pQFBRGTA


そしてゆっくりと、お舟は動き出した。
このお舟、御柱と同様コロも何もついていない。
かといって、担ぎ上げるのでもない。
ただただ引っ張るのだ。
御柱といい、お舟といい、つくづく諏訪の衆は
重いものを無理矢理引きずるのが好きなんだなと思う。
巨大建造物を作っていたとされる出雲とも関わり深い諏訪のこと、
コロもソリもなにも無い時代の巨大建築事業は、
こういう風に行われていたのか、と想像がふくらむ光景だ。



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お舟が太鼓橋を過ぎた頃から、何やら様子がおかしかった。
私は綱を引かず、お舟の周りにくっついていたのだが、
チンピラが何度もお舟に乗り込もうとして喧嘩が起こっていた。
やくざものとの確執は、毎年あるらしい。
乗り込むたびに、曳行を止めるのは、
やはり神聖な神の乗り物と全員が意識しているからなのだ。
今回も、何度も何度も乗っては引きずり降ろしを繰り返した。
が、春宮の参道から国道20号に抜ける手前で、
とうとうお舟が止まってしまった。
チンピラたちも、今回は必ず乗ってこい、
と上からきつく言いつけられていたらしく、
とうとうお舟を乗っ取ってしまったのだ。
山吹色の若連はお舟を下り、曳き手も全員曳くのをやめる。
この辺りから祭は中だるみになってきた。

国道の交通整理の問題もあり、なんとか進めなくてはならない、
協議の結果、チンピラも若連も、誰も乗らないお舟曳行になった。
空のお舟を曳いたまま、国道を抜け秋宮の参道に入った。
さすがにこの事態を申し訳なく感じたのか、
チンピラが若連の手を引いて、一緒にお舟に乗り込んだ。
「お、和解か?」とも思ったが、やはりそうはいかないらしい。
若連と木遣り衆が元通りお舟に乗り込んでも、
異分子が混じっている以上、お舟を進めるわけにはいかないのだ。

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気が荒いと言われる諏訪の衆だが、ここは殴り合いにはならず、
根比べとなった。
何しろここまで空のお舟を曳いてきたのだ。
時間は予定よりもずいぶん余っている。
曳き手も綱側の木遣り衆も、思い思いに散り、
日陰で酒やらビールやらを呷る。
この辺り、要領を得ているというか、なんというか。
とにかく、こういう中だるみは一番疲れるのだ。


続く


8月1日

諏訪大社下社には春宮と秋宮があり、
その名の通り、春から夏は春宮に、秋から冬は秋宮に、
御神霊が遷宮する。
その遷宮の行事が、8月1日のお舟祭である。

この日、奇しくも妻の実家の地区が10年に1度の御頭郷。
お舟祭のメインである芝舟を曳く担当地区だった。
義父は、私が来るなら祭に参加するという。
実際義父は、お舟を曳くのは子供の頃以来であり、
そしてこの機会を逃せば、次の10年後には曳く気力も無いだろう、
と語っていた。
そのような機会に、氏子として祭に参加できたことは、
またとない幸せである。

12時ころ、町内の広場に集合。
2台のバスで下社のある下諏訪に向かう。
諏訪湖周辺は狭い土地に道がひしめき合っているので、
かなり交通の便は悪い。対岸に行くだけなのに、
1時間弱も掛かってしまった。

13時頃、下社に着く。
バスに乗っていたのはお舟の前に着いている
雄綱、雌綱を曳く氏子の人たちで、
お舟の前後を堅め、お舟に乗り込む若い衆は、
すでに山吹色の衣裳に身を包み、お舟の前にびっしりと並んでいた。

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祭直前の独特の空気、緊張と高揚が充満する境内で、
人々は静かに時を待っている。
神前で木遣り歌を捧げる人、境内周囲の小陰で見守っている人、
炎天下にも関わらず、お舟から離れず気持ちを引き締めている人、
開始を待ちわび落ち着かない神職、様々な人の想いが行き交う。


そして、長持や御旗・薙鎌などの長物、それに続く裃の大人達、
きらびやかに着飾った稚児達を携えた遷宮行列が、
拝殿の奥に入って行った。
外野から見えない場所で、さらには厳重に白い布で目隠しをして、
御神霊の依り代を錦に包まれた長持の中に移した。

お舟に先駆け、遷宮行列が出発。
年に2度、遷宮の時にだけ開放される太鼓橋を渡り、
秋宮に向けて行列は進んでいく。
厳格なその歩みは、その後に続く波乱とは対照的に、
粛々と続いていくものであった。

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続く



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