2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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3月23日

浜通りをいわきから南下しているうちに、日付が変わってしまった。
旅の疲れをいわき湯本で癒しているうちに、
ついつい長湯をしてしまったようだ。

一眠りしようか、頑張って帰ろうか。
迷っているうちに日立に来たが、このあたりの海沿いの駐車場は、
どこもかしこもヤンキーの溜まり場と化していた。
ここで仮眠は勇気がいる(笑)

もう一がんばりして、大洗まで行こう。
走っているうちに、大洗磯前神社が気になってきたのだ。

「ある夜、製塩業の者が海に光るものを見た。
次の日、海辺に二つの奇妙な石があった。両方とも一尺ほどだった。
さらに次の日には20あまりの小石が怪石の周りに侍坐するように出現した。
怪石は彩色が派手で、僧侶の姿をしていた。神霊は人に依って
「われは大奈母知(おおなもち)・少比古奈命(すくなひこなのみこと)である。
昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、
今人々を救うために再び帰ってきた」と託宣した。」
『文徳天皇実録』に、856年に起こった出来事として記録されている。

常陸の国は、よく分からないものがたびたび流れ着く。
僧形の怪石、金色姫の桑木の船、赤い髪の女の乗った宇宙船…w
どれも何故か異形なのは、果てなき海に対する憧れか、恐怖か。

大洗磯前神社は、流れ着いた神のうち、オオナムチを祀った神社で、
ひたちなか市の酒列磯前神社にスクナヒコナを祀ることで、
二社一体の信仰を形成しているという。
神社の近くの駐車場に車を止め、あたりを歩いてみた。
境内は閉ざされていて中に入れない。
本殿から真っ直ぐに海に向かってみた。
石段を降り大きな鳥居をくぐり車道を渡る。
車道に沿って観光旅館が並んでいるので、
脇の小さい道を見つけて海岸線にたどり着いた。
海岸線にそった遊歩道から降りると、そこは小石の浜。
所々に岩場があり、波が磯を洗っている。

海に突き出した岩場の先に、石の鳥居が立っていた。
神磯の鳥居、まさにここが、神々の現れた場所なのである。

空には満月、雲ひとつ無く潮は大潮。
時間は満潮から引き潮に移り始めたところ。
奇しくも、この場所にとってもっとも条件の良い瞬間に立ち会えたのである。
急いでカメラを取りに走った。
小石の浜に三脚を立て、月明かりでシャッターを切る。
8秒・15秒・30秒。
波が定まらない。
一見規則的なようでも、よく観ると波の一つ一つに表情がある。
大きくうねった波が来ると、三脚の足下が掠われそうになり、
急いでカメラごと後ずさる。これの繰り返し。
そのうち、波を掴めてきた。
ここだ!とシャッターを切った。

神磯を見る前は、仮眠をして夜明けを待とうかと思っていた。
宇宙岩で見送った太陽を、大洗でお迎えする。
それもまた乙かと思った。
が、疲れた身体に鞭打って、カメラを構えて正解だった。
旅の最後に、素晴らしい写真を生み出すことができた。

これにて、東北の旅は完結した。
私は心置きなく帰途についたのであった。

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宇宙岩。
いわきのエアーズロックとも。
広大な乾し草の山の上に佇むその姿は、あまりに孤高であった。
険しくもあり、どこか暖かくもあるような、圧倒的な存在。
その岩はあたかも道を指し示すように、遙か上空を指し示していた。
地面から延びる一本の白いライン。
辿っていけば、そのまま青い空に吸い込まれそう。
そう思うくらい、しっかりと宇宙を指し示していた。

良良堂山三十三観音から目と鼻の先のこの山。
峰続きとも思える立地なのに、その風景は全く違っていた。
どこまでも広がる牧草地。
この山頂の様子は、朝に訪れた水石山に酷似している。
そう思いつつ歩いていたものだが、その予感は外れてはいなかったようだ。
岩を貫く白いラインを、岩の上から辿っていくと、
その先に示されるのが水石山だった。

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ここだけではない。
先ほど行った丑の倉の大石からも、水石山が見渡せる。
遮るものの何もない宇宙岩の上に立つと、
あちらこちらに背の高い印象的な山が頂きを見せているのがわかる。
この土地は、水石山を中心とした通信システムでも構築されていたのではないか、
そう思っても過言ではないほど、
見事なまでにそれぞれを見渡すことが出来るのだ。

岩の上には焚き火の跡があった。
こんなところでキャンプ?
そうではない、きっと空飛ぶ円盤でも呼ぼうとしたのだろう。
何しろここは宇宙岩だ。そう思わせてくれる何かがここにはあった。


Sさんたち一行とはここでお別れ。
翌日の探索に供えて、宿を目指すという。
私はさすがに翌日も同行するほど余力はなかった。
何しろ、自宅を出てからもう一週間を過ぎてしまった。
旅の締めくくりが、宇宙岩から眺める広大な風景。
これ以上のものはないと思った。
宇宙岩で沈みゆく太陽を見送りたい。
日没まではまだ時間があったが、これだけの風景を独り占めできるのだ。
時間などあっという間に過ぎていった。

そして日没。
逃げ去る夕陽を追いかけて、私は小高い丘にいた。
目と同じ高さの山に、太陽が沈んでいく。
ほどよい大きさの石が、私を囲んでいた。
ここはストーンサークルだったのだ。
夕陽を眺めるのに一番適した場所。
かつての人々も、ここからこうして、
西の山に沈みゆく太陽を、じっと見守っていたのだろうか。


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桐が岡神社で思わぬ収穫に喜んだ我々一行。
神社の脇に湧いているいわき一の名水をペットボトルに汲み、
ジムニーに4人全員が乗り込んで、真の目的地「丑の倉の大石」を目指した。

もはやナビに道は表示されていない。
轍に雨水が流れて抉られた山道。
確かにジムニーでないと行けない道だ。
そんな悪路に追い打ちをかけるように、急な上り坂。
普段は全然役に立たない超低速ローギアが、
この時ばかりは頼もしく思えた。

そんなこんなで、大石にたどり着く。
路肩に大きな石がデンと座っていて、へ~、これがそうか、と思っていたら、
お目当ての大石はそのまた奥だという。
さすが、来たこともない場所なのによく分かっているな、
と感心しつつも一行に着いていくと、
ドドドーーーーン!
と言った感じで大石が立ちふさがっていた。
いや、もはやこれは石と呼べるのか?
それでも一枚岩だというから、開いた口が塞がらない。

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右の石の上にいるのがS氏。

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巨石好きはもとより、ロッククライマーにも有名な場所だそうで、
確かに石の頂上付近に穴が開けられ、ロープを架ける杭が打たれている。
なるほど、登りたくなるのも無理がない。
ちなみに我々は、裏手から大石の上に登った。
こういう巨石は、何故かどこでも登れるようになっているから、
ついつい登ってしまうのだ。

大石の下でお昼ご飯。
おにぎりに先ほどの名水。
いつも一人で食べることが多いので、大空の下、
ワイワイとご飯を食べるのはとても楽しい。


丑の倉の大石のあとは、少し離れた場所にある、良々堂山三十三観音へ。
江戸時代、独国和尚が岩屋の中に堂を設け延命地蔵を祀って以来の霊山。
その後、西国へ巡拝に行けない人々のために、三十三観音を祀ったという。

なだらかな杉林の斜面を登っていくと、そこかしこに岩が転がっている。

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林の隙間から差し込んだ光を受け輝いていた岩は桃太郎岩。
このような岩が、そこら中に転がっているのだ。

興味の尽きぬままお堂のあるあたりにたどり着く。
お堂の後ろには、大きな岩が。

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この岩は岩屋状で、お堂があってもおかしくはないほどの空間があった。
ここに独国和尚は延命地蔵を祀ったのだろうか?
空間の横にも岩が転がっているのだが、どうも岩屋の天井が割れて落ちて用ようだ。
その為か、いまでは岩屋は物置になっていて、
材木やらが転がるちょっと悲しい場所になっていた。

と、そんなことではもう驚かないちょっと岩スレした私。
だが、ここからがすごかった。

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岩屋の上には、無数の石仏。
お堂の位置からは気がつかなかったが、こんな光景は初めて見た。
この時は枯れ葉が積もっていたが、枯れ葉がなければ
この妙に白い岩肌と無数の石仏のコントラストが美しそうだ。

でも驚くのはまだまだ早い。
そこから少し上を見上げると、いかにも何かありげな場所がある。
山を少し登っていくと、、、

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岩に仏様が彫られていた!
そして天照太神宮、?????(読めない…)、熊野大権現の神名。

これはお見事!いつの時代のものなのだろう?
私は、聖地が好きでもどちらかというと神道系ばかりまわっているので、
磨崖仏は数えるほどしか見たことがないのだが、
その中でも存在感がずば抜けているように思えた。
周囲が丸く彫られているが、この形は何だろう?
神名にも見えるとおり、太陽を模ったものなのだろうか?
この真ん中の、書体を変えてある文字が読めるといいのだが…

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良々堂山は、ここから先が三十三観音巡礼なのだが、
あまりにも道のりが長くなりそうなので、この日は次を急いだ。
こういう巨石が三十三ヶ所も続くのだろうか。
いずれまた、あらためて。

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3月22日

朝、起きると爽快なまでの青空。
ここはいわき、水石山の頂上付近。空を遮るものは何もなく、遠くには太平洋。
先週から東北を旅してまわっていた。
この日、巨石巡りの先達、Sさん一行と合流し、いわきの巨石を探索する予定なのだ。

水石山の頂上は牧草地になっている。
前日から現地で車中泊していた私は、
待ち合わせの時間まで、誰もいない草原をひたすら歩いた。
そして、合流。
Sさんたちは、巨石探索のスペシャリストなので、
この日の行程は全てお任せ。まずは目と鼻の先の水石へ。
私は広大な牧草地から御神体石を探していたが、見当違い。
水石は牧草地からちょっと離れた、頂上の斜面の中腹にあった。


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水石はそのものズバリ、水を湛えた石なのだ。
三角形の岩の、後頭部に当たる部分にくぼみがあり、
そこに30?もの水が溜まっているという。
日照りが続く日でもこの水は枯れることがなく、
大雨でも水がこぼれ落ちることがない。
また、日照りの時はこの水に布を浸すか、
溜まってる水をかき混ぜるかすれば、
必ず雨が降る、と言われているそうだ。

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まぁよく聞く話しではあるが、
水が溜まっていることはハッキリと見て取れた。
ほとんど消えた鬼の手形を見たばかりだったので、
伝説がちゃんと確認できるのは嬉しいことだ。


続いて、「丑の倉の大石」に。
ここはジムニーではないと行けない山道で、
Sさんが是非に!とのことだ。
途中立ち寄った桐が岡神社(大山袛神社)。
いわき一の名水があるとのことで立ち寄ったのだが、
ここは私にとってはツボだった。

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一見普通の神社。摂社には天狗の面が奉納。
さらには社殿の裏に岩塊があって、鉄剣や鉄鳥居が奉納されている。
いかにも山岳信仰です、といった感じでゾクッとした。
私はこの手のモノに弱いのだ。
そしてその脇から山林に入っていく小道に、
二本の杉の木の間に注連縄で結界が張ってあるのだ。
こういう結界は、ある種の人間にとっては、
こっちに来なさいと呼びかけているようなものだ。
当然のごとく行ってみる(笑)

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さらに山道は続き、巨大な岩壁にへばりつくように二つのお社が。
熊野神社と山袛神社、岩壁の正面にある山袛神社を覗いてみると・・・

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おお、山犬さまが!!

あれ、オオヤマツミと山犬って、直接関係あったっけ?
とも思いつつ、その山犬像の迫力というか、
ただならぬ気に畏れをなしてしまった。


ふと岩壁を見ると、なんとハシゴが…

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これは、まさに「登れ!」と言わんばかりの…
振り返ると、Sさんも僕に登って欲しそうだし(笑)

何とかと煙は高いところが好きだということで、
帰りのことを考えずに登ってしまった。

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ハシゴを登った先には、さらにハシゴ。
しかもこっちは半分朽ちている…
でももうここまで来たら引き返せない!
意を決してグラグラするハシゴを登った!
着いた先にあったのは、岩の割れ目に小さな祠。
岩の割れ目は、正確に言うと岩屋状の空間に
楔を打つようにもう一つの岩が迫り出しているのだが、
もしかしたらこの岩は、後から割れて落ちてきたのかもしれない。
そう考えると、この隙間は人一人が籠もるのに十分な広さになるのだ。
それにしても、よくこんなところに祠を祀ったものだ。

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3月4日

ふと鳥居を見上げるとツチノコがいた!

と思ったら、どうやら大蛇なのだとか。
いや、角があるから龍なのか?
とにかく、3月初卯の日、ここ白幡八幡大神では、
鳥居に藁の大蛇があがるのだ。
3月の卯の日というのは八幡さまの誕生日。
つまりは宇佐神宮に八幡大神が顕現された御縁日が、
旧暦2月の初卯の日なのだという。

白幡八幡大神は、稲毛地区(川崎北部)の元締め的存在の神社で、
『新編武蔵風土記稿』によると、
源頼朝が奥州平定の際に戦勝祈願に社を奉納したと記述されているが、
社の栞によるとさらに歴史は遡り、前九年の役(1051-1062)の際、
源頼義が戦勝の感謝のために祠を奉納し、それを頼朝が奥州平定時に再建した、
となっている。
頼義のくだりは、このあたりの八幡系神社ではよく見かける、
わりとポピュラーな由来で、鶴岡八幡に頼義が氏神である壺井八幡宮を
勧請したことに便乗しているのかもしれない。

さてこの大蛇、よく見ると芋で目を、ゴボウで角を(ヒゲかと思った…)、
人参で舌を表現しているようだ。
尻尾には剣を模った板が刺さって、と言うよりも生えていて、
このあたりは八岐大蛇の尻尾から出てきた天叢雲剣を思い起こす。
藁の大蛇は氏子の方が1日がかりで作るのだそうで、
今年は出来が良い、と関係者は語ってくれた。


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そう考えると、やっぱりこれも多摩川流域の藁大蛇の風習の一つなのだろう。
奥澤神社の大蛇 
http://miyokame.blog82.fc2.com/blog-entry-121.html
妙見尊の大蛇 
http://miyokame.blog82.fc2.com/blog-entry-118.html

どうして白幡八幡の大蛇がずんぐりむっくりになったのかが
不思議でならない。


私が10時に神社に着いた時には、すでに鳥居に大蛇が上げられていて、
神事の始まりを今か今かと待ちわびている状態だった。
白幡八幡には、秋の禰宜舞の時にも来ているのだが、
平日にもかかわらず、氏子の方々が沢山集まっていて、
これは都市近郊住宅街としては珍しいことだと思う。


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氏子の面々は昇殿し、一連の神事が始まる。
祭壇前の神事が終わると、皆ゾロゾロと外に出てきて、
社殿下手の空間に的を作った。
ゴザが敷かれて、どどめの木(桑?)の弓と普通の弓が並べられる。
初卯のお祭りは、「おまとう祭」といって、
弓を射る儀式が一応メインの目的なのだ。

といっても、全然厳粛なムードではなく、
和気藹々な空気で用意が進められる。
白装束の男の子二人が現れて、その子たちがどどめの木の弓を射るのだ。
と思ったら、どどめ弓の弦がしっかり結ばれてなかったらしく、
男の子に渡す以前に外れてしまった。
しょうがないしょうがない、と笑いながら巻き直す。
なんとも”ゆる~い”空気の中、
付き添いの保護者と思われる裃の大人が、
それなりに弓を放って儀式は終わった…


男の子たちは去り、残った大人たちは普通の弓にワラワラと集まる。
ここからは腕自慢大会だ。
まるで夜店の射的を遊ぶように、大人たちが目を輝かせて弓を放つ。
しかしこれがなかなか当たらない。
あーだこーだ言いながら、やらせろやらせろ弓の奪い合いだ。
先に平日なのに氏子たちがよく集まって…と書いたが、
もしや、これが目的だったのでは!?と思わせるに充分な盛況ぶりだった。

ちなみに、どどめの弓は子供たちが持って帰り、家に飾るそうだ。
毎年氏子中から男の子が選ばれるため、
大抵の氏子は幼い頃に射手を経験しているという。
この地区の通過儀礼的な行事となっているようだ。

きっと今回の男の子たちも、じいさまの年代になっても、
やっぱり初卯の日は射的を楽しみに、神事に参加するのだろう。
半世紀後も、変わらずあることを願いたいところである。


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