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2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

11月21日 夜

日光参りを終え、とりあえず日光を離れた。
そのまま自宅に帰っても良かったが、まだ余力が残っていたので、
もう一泊、栃木を堪能していくことにした。

まずは、宿泊地をどうするかだ。
気ままなひとり旅と。
安全で、人に迷惑の掛からない場所ならどこでも寝られる。

念のため調べておいた、那須塩原の福渡温泉に向かった。
ここは、野天風呂が夜遅くまで営業しているとのこと。

現地に着いてみると、川沿いに温泉旅館が並んでいて、
向かいの川岸に野天風呂があった。
料金箱が設置されていて、寸志を入れる仕組み。
向かいの旅館からは丸見えだが、気にせず裸になった。
ポツポツと雨が降っていたので、風呂には誰もいなかった。

岩の窪みをひさしにして、雨の中入浴。
なかなか快適だ。

そのうち、入浴している姿が見えたからか、
ほろ酔いのおじさんたちがフラフラと傘を片手にやって来た。
灯りも持たずに危なっかしいな、と思っていたら、
一人が浴衣のまま風呂にどぼん。

・・・

無事救出されたその人は、濡れ鼠のまま旅館に帰っていった・・・


その日は、那須塩原の道の駅に宿泊。
広くて綺麗で、その上温泉も近い、すばらしい宿泊拠点だ。




11月22日

朝一で昨日の温泉に入浴。
箒川に掛かる吊り橋の紅葉が見頃だったので、堪能。
少し写真も撮ろうと三脚を立てて、
良い日差しを待っていたが、雲の流れは速いものの、
なかなか良い光の具合にはならず、1時間ほどで断念。
せっかく朝風呂に入ったのに、すっかり冷えてしまった。

那須と言えば、以前から気になっていた場所があるので、
コンビニの地図で情報収集をして、その場所に行ってみた。


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「殺生石」

鳥羽上皇の寵姫、玉藻前。
絶世の美女と言われるこの姫は、実は天竺と中国で天子を惑わし、
悪の限りを尽くして王朝を滅ぼした金毛九尾の狐の化身だという。
安倍晴明に正体を見抜かれ、那須野にて射殺されたが、
そのまま石と化し、毒を吐き続け、近寄る人間や動物を殺し続けたという。
その後、玄翁(金づち)の名の由来ともなった玄翁和尚の法力によって、
石化した妖狐(=殺生石)は砕かれた。


以前、遠州七不思議に興味を持って、相良の大興寺を訪れたことがある。

学識僧であると共に、類い希なる石マニアであった開祖、
大徹和尚の業績に、那須野の殺生石の謎を解いた、とあった。
謎を解いただけで、殺生石を砕いたわけでは無いので、
美味しいところを玄翁和尚に持って行かれた形になったが、
きっと類い希なる石マニアのことだから、砕くのが惜しくなってしまったのだろう。
なんとなく気持ちは分かる(笑)

といったわけで、那須の殺生石のことがずっと気になっていたのだ。


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いざ殺生石の目の前に来ると、それは何でもないただの岩に見える。
小高い丘の中腹に何気なく転がっており、注連縄がなければ気付かないほどだ。
丘の麓には柵が張り巡らされており、それ以上近寄ることは出来ない。
看板を読むと、ふむふむ・・・

「有毒ガス発生」「危険なので柵内に入らないでください」
・・・玄翁和尚!妖狐の呪いがまだ残っているようです!


柵の手前には警備員が居て、常に殺生石を監視している。
毎日のように、小動物が毒気に当たって死んでいるようで、
その日も、あそこにうさぎ、あそこにカラス、と教えてくれた。
訪れたときはちょうど、もう一人の警備員と無線で連絡を取り合って、
殺生石に近づいた狐のつがいを、余所へ追いやっているところだった。

死骸を放っておくと、死肉目当てに寄ってきた動物がまた死に、
それ目当てにまた・・・
と死の連鎖を繰り返す。
さすがに観光地で死骸の山はマズイので、こうして警備員は、
人・動物ともに、日々監視を続けているのだ。

しかし、この硫化水素ガスというのは怖い。
ここでは監視員が居て、常にガスの噴出量を連絡しあっているからまだマシだ。
以前、福島で渓谷全体が源泉というワイルドな野湯に行ったことがあったが、
そこは数年前に毒ガスで死者が出たそうで、行ったときにはすでに廃れ果てていた。
「有毒ガス」「臭い無し」「即死」と書かれては、さすがに焦る。
管理人も居ない山奥で、素っ裸で行き倒れたら、助かる術などないだろう。
死の恐怖に怯えながら、そそくさと温泉に入った苦い思い出が頭に浮かんだ。





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そんな現役バリバリの呪われし土地に相応しく、殺生石にいたる道には、
慈悲を求めてやまない無数の地蔵が・・・
雪に半ば埋もれ、大きな手で必死に拝む姿があまりに切ない・・・

この地蔵、もとは教傅という一人の坊様にまつわる謂われがある。
教傅は生まれながらの不良少年で(すごい設定だ…)、
将来を心配した母は教傅をお寺に預けた。
その教傅も寺を継ぐことになり、再び母と暮らすようになったが、
一向に素行はよくならない。
ある日、教傅が仲間と連れだって旅行に出ることになり、
朝、支度をしていると、母が朝飯を用意したと呼びに来た。
教傅、「まだ支度が終わってないんじゃ!」と、癇癪を起こし、
朝食のお膳を蹴飛ばして、そのまま旅に出てしまう。
那須温泉に着いた教傅たちは、殺生石を見物しようとこの地を訪れたところ、
空が俄に暗雲立ちこめ、雷鳴が轟き大地は火を噴いたという。
仲間達は一斉に逃げ出したが、教傅は動くことが出来ない。
「俺は出発前、親の用意した飯を足蹴にしてきた。
 だから天罰を受け、火の地獄に堕ちるのじゃぁあぁ~!!」
ともがき苦しみ、息絶えたという。
その後、有志がここに地蔵を祀り、親不孝の戒めとして語り継がれたという。

殺生石と言い、教傅地蔵といい、なんと殺伐とした観光地か・・・
この縋るような目をした千体地蔵は、地元の石匠が寄進を思い立ち、
たった一人で作り続けているものだという。
いまは七百体ほどだそうだが、いずれ千体に達するのだろう。
なにかそれで浮かばれるものがあると良いのだが。

あまりに切ない土地だった。
ときおり吹き付ける横殴りの雪が、また寂しさを一層引き立たせる。
あまりに切ないので、この後、すぐ隣にある温泉で暖まり、
近くのアルパカ牧場でモフモフしてきた。
何という落差。
栃木は色々な意味で奥の深い土地だと、改めて思い知った。



日光・那須の旅  完


おまけ:殺生石を探せ!
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前回の日記で、勝道上人の墓所を紹介したが、
そこから滝尾神社に向けて、石畳の道が続いてる。
この道は女体山への山岳修験の道で、
女体山の中宮に当たる滝尾神社を経て、女体山に続いているようだ。
この女体山信仰の道は、男体山の二荒山神社に対して、
「もう一つの日光」などとも呼ばれていたそうで、
前回の香車堂や、滝尾神社の子種石など、
どうも女性に関する信仰が多いようだ。


勝道上人の墓所で時間を費やし過ぎて、
いざ古道を歩き始めたころは、もう夕方になっていた。
夕方だからと言うわけではないだろうが、
他に人は全然いない。
若い男の子と、岩壁に向かって両手を広げている女性…だけだった。

若い男の子は、その場に似つかわしくない、
というか、どう見ても同業者だったので話しかけてみると、
映画のスタッフ(ADアシスタントディレクター)で、
機材番をしているらしい。
なんでも、小栗旬の主演の時代劇のロケをやっていたらしい。

…残念ながら、残り香すら味わえなかった。



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滝尾古道は細かく見てくと色々と見所があるのだが、
その時はもう、ゆっくりと堪能している余裕はなかった。
(写真は途中で見かけた何やら曰くありげな石)
何しろ、杉の巨木に囲まれ真っ直ぐ伸びている石畳の道が、
どこまで続くのか見当もつかなかったのだ。
一応略図をプリントアウトしてきていたが、
略図は略図だけに、距離の間隔までもが略されていて、
とっくに着いているはずの滝尾神社に、いつまで経ってもたどり着かない。
しかも、三脚を担ぎながらの道程。
どこを切り取っても画になりそうなので、
どこもかしこも切り取りたくなってしまうのが悲しい性。
実際古道は見事なもので、晩秋の色枯れた木々でさえも、
沸き立つ情緒にあふれていた。

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そうこうしているうちに、辺りはすっかり暗くなってしまった。
目的地まであとわずか、と思うと、引き返す気にもなれない。
あとちょっと、あとちょっとが命取りとは分かっていても、引き返せない。

おかげさまで、滝尾神社に着いたときには真っ暗になっていた。
何故そうまでしてここに来たかったか。
非常にしょーもない理由なのだけど…

滝尾神社の鳥居には、額束の真ん中に穴が空いていて、
ここに石を3度投げて、一度でも穴を通れば願いが叶うという。
俗に「運試しの鳥居」と呼ばれる。
ここに石を投げてみたかったのだ。


ちょうどとあるコミュで、鳥居に石を投げる習慣について、
の話題で盛り上がっていたこともあり、興味があったのだ。
そもそもそのコミュでは、関西では鳥居の上に小石を投げて、
上に乗れば願いが叶うという遊びが盛んなのだが、
関東ではやらないし、危険だから止めるべきだ、主張している人がいた。

で、調べてみると、関西以外の地方でも、この遊びはやっているようだったのと、
上に乗せるパターンの他にも、島木と貫(鳥居の上に乗っかっている横木)
を通れば良い、なんてパターンもあるようだ。
それらは民間習俗、特に子供の遊びとして広まった節があるのに、
滝尾神社では、それは公然のものとして、
しかも的として小さな穴まで開いているという。

どうもこの穴、単なる運試しとされているが、
女体山の中宮に有ることといい、
香車堂(矢のように子供が出てくる。)と同じ古道にあることといい、
どうも、「穴を通す」ことに意味がありそうだ。
つまりは、そういうことなんだろう。
おあつらえ向きに、この先には子種石がある。


で、石を投げた結果はどうなったか?

真っ暗で何も見えませんでしたとさ。
(写真だと明るいようだけど、これは長時間シャッター)

ただ、2発目は鳥居に当たって跳ね返る音がしなかったので、
きっと穴を通って向こう側に落ちたんだと思う。
ということにしておく(笑)


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