FC2ブログ

2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

仏ヶ浦の入り口には、地蔵堂がある。

そこで参拝していると、おばさんに声を掛けられた。
遊覧船の女将のようだが、客引きが目的ではなく、
私がお堂に手を合われている姿に興味を惹かれたそうだ。

世間話の中で、仏ヶ浦の奥座敷とでも言うのか、
霊水の湧き出る聖域があることを知った。

仏ヶ浦の波に洗われる奇岩群に比べて、
聖域は地味な上に行きにくい場所にあるので、
その事を知らされなければ素通りするところだった。


web_090802-131232.jpg


奇岩と奇岩に挟まれた通路から水溜りが続いており、
容易には超えられないので通常は迂回したくなる場所。
そのような水溜りは他に幾らでもあったのだが、
ここだけは緑色の藻がびっしりと生えていた。
藻はおそらく淡水に育む藻なのだろう。
その先に霊水が染み出していることが想像できた。

通路は幅3mくらい。
岩の縁を水に浸からないようにそっと進む。
行き着いた先には、不思議な空間があった。

web_090802-124638.jpg

入り口以外を岩壁に囲まれた小さな浜辺。
あまり人が来ないからか、純白な砂は穢れを知らないようだ。
左隅に、お地蔵様が祀ってあり、その脇から湧き水が染み出している。
これが霊水だ!
それにしても不思議なのは、正面の岩壁。
綺麗な三角形を描き、さらにそこだけ色が違う。
人の為しえる業ではないのはあきらかだ。


聖域の真ん中に立って感じたのは、ここが「胎内」だということ。
外部から守られている上に、恵みの水も与えられている。
もっとも、洞窟に胎内を見出すのは全国どこにでもある習俗ではあるが、
洞窟の多くは生まれ出ることを目的にしているのに対し、
こちらは帰るべきところとでもいうのか、ずっとこの場に居たいと思わせるものがある。

霊水は、これまたよくある話で、
1杯飲むと10年長生き、2杯飲むと20年長生き、3杯飲むととことん長生き、
という話だ。とりあえずいっぱい飲んでおいた。
場所が場所だけに、寿命尽きる前に亡くなった人の、
魂の雫を飲んでいるようで複雑な気分ではあった。


聖域から再び岩場へ。
仏ヶ浦はまだまだ続いているようだ。
いかにもここを通れといわんばかりの、
しかしいかにも波を被って海に落ちそうな天然の道があった。

web_090802-130659.jpg

危険な気もしたが、その先に観光客が居たので意を決して通ることに。
しかし何を思ったか、観光客は私が足を踏み入れたと同じタイミングで引き返してきた。
おいおい、こんな足場の悪い場所ですれ違いか…

なんとかやり過ごし、その先へ。


web_090802-130620.jpg


これはまた不思議な…

どうしてこの場所には、人智を超えた岩ばかりあるのだろう。
先の尖った岩は、隣の岩壁から剥離したものだろうか。
だとしたら、上手い具合に地面に刺さったものである。
人間が「三角」や天に突き出した「柱」を神聖視することを知ってか知らずか。


こういうものを見せられたら、行かずにおられないのが性。
足場を探る。




…が、さすがに辞めておいた。
目の前の岩たちがおいでおいでをしているで…
これ以上行ったら本当に帰って来れないような気がしたのだ。

web_090802-125109.jpg

スポンサーサイト




web_090802-135642.jpg



なんだこの異空間…

噂には聞いていたが、想像以上の場所だった。

仏ヶ浦。
恐山の奥の院。
あの世の入り口があるともいわれている場所だ。
恐山から見て浄土の方向、つまり真西に、
このような場所が自然に出来上がっていること自体が不自然で、
本当にあの世の入り口が開いているのではないか?
と考えざるを得ない場所だった。

駐車場は崖の上で、急勾配の遊歩道を15分ほど下ると、
断崖絶壁の海岸線には珍しい、猫の額ほどの砂浜がある。
そこが仏ヶ浦に降りる唯一の場所のようだ。

砂浜を歩くとすぐ、巨大な二つの岩壁にぶつかる。
岩壁と岩壁の間に道がついていて、そこを抜けると異世界が待っていた。

「如来の首」なる岩が、来訪者を出迎えてくれる。
ここより先は砂浜が途切れ、岩場を進むことになる。

潮が満ちつつあるのだろう。
磯のあちこちに海水が溜まりはじめ、足元がおぼつかない。
岩壁をつたい、時に跳ね、再び砂交じりの広い空間にたどり着くと、
目を瞠った。

web_090802-121613.jpg

web_090802-121243.jpg

web_090802-133245.jpg

蓮華岩というらしいが…
これは本当に自然の造形物なのだろうか…
あまりにも出来すぎている。
蓮華岩もさることながら、印相を模ったとしか思えない岩まである。
この浜も少し水に浸っているので、ひとたび海が荒れると、
蓮華岩を残して水没するはずだ。
まさに蓮の花咲く浄土を彷彿させる景色が広がるのだろう。

そしてひとたび海が荒れると…
仏ヶ浦には土左衛門が流れ着くらしい。


1954年9月26日に津軽海峡で起こった洞爺丸事故。
台風の観測を誤ったことに起因する世界第三位の海難事故で、
洞爺丸だけで1155人、他の貨物船4隻の転覆を含めると
合計1430人の死者・行方不明者を出しだ事故である。
最大の被害を出した洞爺丸は、
北海道から1kmも離れていない海上で転覆したのだが、
なぜか仏ヶ浦には、他の沿岸を上回る数の水死体が打ち上げられたそうだ。
海流の関係なのか、死者の霊が浄土の入り口を目指したか。
ともあれ、津軽海峡を隔てたこの地に、
多くの水死者が集まったことは事実のようだ。


振り返ると、凛々しく切り立った青白い海食崖の足元に、
いびつな形相の岩場が広がっていた。

web_090802-133217.jpg


大間から仏ヶ浦に海岸沿いを南下していると、途中妙に赤い海岸があった。
気になったので車を停めた。

web_090802-082650.jpg

web_090802-083339.jpg


浅瀬に岩を転がして、人工的な磯を作り出しているのは、
投石によるフノリの養殖。
人工的な磯を作り出すことで、布海苔を定着させる場所を作り出しているのだ。
前日漁火を見た風間浦が発祥で、そこから全国に広がった方法だという。

浦に突き出した岡が気になるので行ってみると、塩釜神社跡だった。
そこで菅江真澄の名を見つけて驚いた。
「菅江真澄」は江戸時代後期の旅行家で、
訪れた土地の詳細な絵日記を残している。
いわば民俗学者のさきがけであり、私の憧れの人でもある。
三河生まれで信濃、出羽と旅して歩いたが、
まさか下北半島の奥座敷にまで足跡が及んでいるとは思わなかった。

 寛政四年十月六日、真澄は松前から船で奥戸(大間)の湊に上陸、
 翌日、佐井に向かう途中「赤石」を過ぎたあたりで山陰に馬が多く、
 「この場所も牧なのですか」と真澄は聞く。そうではなく「冬飼い」といい、
 この辺りでは冬場放し飼いが行われ雪の中の草木を食し、
 無くなれば磯に寄せる海藻類を食しているのだという。 
 海にのぞんだ岡の小さい神の祠を目にし、
 この土地の真澄はこの土地の老人にこの由来を聞き、この社に詣でている。

岡の前に立てられた一本柱の案内文にはそう書いてあった。
神社の由来は書かれていないが…
この土地が「赤石」、寒立馬がいた、ことが分かった。
どうも真澄は下北半島の旅の先々で、牧を訪れているようだ。
後撰和歌集にも詠まれる「尾駮の駒」に関心があったらしい。

寒立馬は、現在では下北半島の太平洋側の突端、尻屋崎でのみ行われているようだが、
かつては至る所で行われていたようだ。
寒風に耐えた馬は強靭な肉体を備える。
残念ながら現在の寒立馬は、その俊敏な能力を発揮することもなく、食用となる。



赤石からさらに南下していくと、奇妙な景観にぶつかったので、また車を停めた。

web_090802-102818.jpg

「願掛岩」というらしい。
なんと、ここにも菅江真澄の足跡があった。
真澄は寛政五年春、ここ佐井村にとどまり、
三上 温・自性院・坂井家などの人々と親交を結んだようだ。
これらの人々のことは、蝦夷が島(北海道)で聞き及んだらしい。
奥戸から田名部(むつ)へ向かう前に、わざわざ反対方向の佐井を訪れさせた。
それほどの人たちがこの辺りに住んでいたことになる。
船が交通の要だった時代、下北半島は交通の要衝だった。
ことに佐井湊は、南部の宝庫と呼ばれたヒノキ材の搬出港で、
近畿や北陸の豪商たちも進出してきていたという。
さまざまな地域と結ばれ、それだけ文化水準も高かったのだろう。

 磯谷の村を行くと、矢越(願掛岩のある地名)のこちらに雌矢越石・雄箭越石という
 その高さ百尋もあろう巌が立っている。小さな祠がふたつあるのは、誉田の神と、
 矢船豊受媛(稲荷社)を祀っているらしい。二の鳥居に木の枝を鍵の形に打ち掛けるのは、
 懇想する者が願いを掛けたのである。
 それで、この岩を「神掛」と言い、「鍵掛」とも書いたらしい。
 

願掛岩の、岩と岩の間に立つと沖合いに小島が見える。

web_090802-092503.jpg web_090802-092716.jpg


その小島に向かうように、金網が立てられ、そこに数多の鍵が掛けられていた。
こういった「恋人たち向け」の信仰はどこの海岸でも見られるが、
まさか江戸時代から続く民間信仰の類だったとは思ってもいなかった。


それぞれの断崖に参道が続いている。
そういうことならば、登らないわけにはいかない。

まずは海に向かって右手の、女願掛から。

web_090802-092340.jpg


鳥居をくぐると、いきなり急傾斜。
道はあってないようなものだ。
岩肌をしばらく登っていると、海岸特有の背の低い木立の中に入っていく。

web_090802-091600.jpg

web_090802-090412.jpg


ひぃひぃ言いながら登っていくと、巨石を祀る祠に行き当たった。
正面から見ると大きな岩だが、裏に回れば幅が1mもない、薄い岩だった。

さらにけもの道は続いている。

web_090802-091550.jpg


ほとんど岩をよじ登るようにして、行き着くところまで行ってみた。
木立が途切れ、急に視界が広がった。

web_090802-090901.jpg

私はバカの例に漏れず高いところが大好きなのだが、
さすがにここでは足がすくんだ。
少し強い風が吹けば、、、突然岩が崩れたら、、、
大海原へ一直線である。


さて、次なるは男願掛。
こちらも非常に登りたくなる様相をしている。

web_090802-091830.jpg

web_090802-092909.jpg


男願掛は登る人も多いらしく、一応遊歩道の体裁を整えていた。
途中、色々な不思議きのこを見かけたが、きのこには詳しくはないのでよくわからなかった。
遊歩道の先には小さなお堂風の神社があった。
願掛岩の頂上に「海を守る天狗様」の社があるとのことだが、ここのことだろうか。
それとも女願掛の頂上の岩と祠のことだろうか。
菅江真澄の記録には、誉田神と矢船豊受媛の祠があり、
矢越八幡神社は今でも麓に鎮座している。
ちなみに、佐井の街中には箭根森八幡宮という源頼義が勧請した八幡宮があり、
陸奥守・源頼義の東征がこの地にまで及んでいたことになっている。。。


道は険しくなるが、さらに続き、大きな岩の下に出た。
この岩が御神体なのだろう。

岩には、わずかに人の登ったような跡があった。
それを見ると、登らないわけにはいかないだろう。
なので、登ってみた。

web_090802-093646.jpg

web_090802-093749.jpg


切り立った岩の頂上。突端まで出てみると、はるか遠くの海まで見渡せて清清しい。
津軽海峡から佐井湊に入ってくる船は、この岩を目的にしたのだろう。
また、ここに立って船を誘導したのかもしれない。

頂上で石笛を吹いたりして、気持ち良い一時を過ごした。


Design by mi104c.
Copyright © 2009 風と土の記録, All rights reserved.