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2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

夕方。

由良浜で思いがけず長居をしてしまった。
日付が変わらないうちに自宅へ帰るつもりだったのに、
夕方になってもまだ山形に居るという…

羽黒山から下りて、精も根も尽きた上に、
さらに寄り道などしてしまったのものだから、
もはや限界。
惰性で国道7号線を南下していた。
この国道は、日本海の海岸線に平行しているので、
右手には沈み行く夕日を一望できる。

ふと、暮坪の辺りでブレーキをかけた。
暮坪は、その地名は知らなかったが、
過去に何度かこの道を通るたびに気になっていた土地だ。
海に突き出た岩場に鳥居が立っている印象的な場所なのだ。
その鳥居に、いままさに夕日がかかかろうとしていたのだ。

即座にカメラを三脚に据え、撮影。


撮影後、感謝の意を込めて、鳥居のもとに行ってみた。
これが、遠くからでは分からなかったのだが、なんと道がない…
岩の壁をよじ登るしか方法は無かったのだ。
しかし、ここまで来たら行くしか無い。
それが人情というもの。

壁をよじ登り、よじ登り、よじ登った先に、海が広がっていた。
鳥居の下に腰を下ろし、呆然と夕日を眺めた。
これで旅も終わりなのだ。
沈み行く太陽に別れを告げた。

車に戻り、ドアを開けた。
ふと振り返ると、岩場の鳥居の向こうの空が、大変なことに!

疲れも忘れて夢中で駆けた。
急いで岩の正面に戻り、三脚を立てカメラを据えた。
こんな光景、見た事がない!
夢中で光景を切り取ったのだった。

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8月10日

東北旅行最後の日。

山から下り、精も根も尽きた。
時間も既に午後を回っている。
ずっと山に居たからか、突如、海が見たくなった。

鶴岡から西へ。
日本海に向かった。
由良峠を越えて、由良へ。
この地は温泉街として名高いようだ。

由良浜には小島があってそこに赤い橋が架かっている。
帰路を急いでいるにもかかわらず、こういう橋を見ると、
無性に渡ってみたくなるのが人情というもの。

橋の先の小島は全域白山神社の境内となっている。
周りは全て岩場で、それに沿って遊歩道が続く。
歩いて10分もかからない小さな島だが、
遊歩道は岩のに起伏に沿って作られていて、
上へ下へと忙しい。

小島の先端に立ち、南西の方向を見た。
視線の先には大海原。
左には由良八乙女浦の海岸線。

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出羽三山を開いた能除大師、
すなわち崇峻天皇の第三皇子、蜂子皇子は、
この浦から出羽に上陸したという。
由良の岩の上で、八人の乙女が笛の音に合わせて踊っているのを目撃し、
この地に上陸したという。
故に、この地を八乙女浦と呼ぶ。
上陸した蜂子皇子は、三本足の烏に導かれて羽黒山に登り羽黒権現を感得。
そして出羽三山を開いたという。

出羽の奥地に、飛鳥の皇子が来るとは唐突な話である。
当時の飛鳥は、蘇我物部戦争が蘇我馬子の勝利に終わり、
蘇我氏の専横政治の真っただ中にあった。

蘇我馬子によって皇位につけられた崇峻天皇だったが、
馬子の傀儡である立場に不満を募らせていた。
しかし、馬子は謀略をもって崇峻天皇を暗殺、
いよいよ蘇我氏に逆らえるものは居なくなった時代だ。
崇峻天皇の子であった蜂子皇子は、聖徳太子の勧めによって宮中を脱出。
丹波国の由良から出航、出羽に逃れ着いたのだ。

丹波国、今の京都北部に、由良の地は残っている。
若狭湾に流れる由良川の河口部だ。
この辺りはかつて、丹波国何鹿(いかるが)郡と呼ばれていた。
「いかるが」とは奈良の「斑鳩」と同じ読み。
「斑鳩」は言わずと知れた、聖徳太子の本拠地で、
法隆寺は今も斑鳩の地に残っている。
なるほど、丹波の何鹿は聖徳太子と関係が深かったのだろう。

面白い事に、この由良川を少し上流にさかのぼると、
「物部」という土地がある。
「物部」ときて「由良」とくると、ピンと来る人もいると思うが…
「ひふみの祓詞」でおなじみの「ふるべゆらゆら(布留部由良由良)」だ。

全国の「由良」を調べてみると、決まって海の側にある。
そして大半が「物部」に関連しているようだ。
丹波の由良には先に述べた「物部」、
淡路島の南端、友が島を望む地に「由良」があり、その北に「物部」。
伊予輿居島の「由良」は、風早国造・物部阿佐利の土地で、
饒速日命、宇麻志麻治命を祀った国津比古命神社にもほど近い。

そして、鶴岡の由良。
蜂子皇子が聖徳太子の勧めで海に逃れた。
その橋渡しを、蘇我氏に破れた物部氏が担ったのかもしれない。
偶然八乙女を見つけて上陸したのではなく、
もともと出羽の物部氏の土地に匿うつもりだったのかもしれない。

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