2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


web_100102-145510.jpg


阿智村には春日神社が四社ある。
そのうちのひとつを訪れてみた。

建久3年(1192)に奈良の春日大社から春日明神を勧請。
文禄元年(1592)に現在の地に移転したそうで、
土地の名をとって「さかい大明神」とも呼ばれている。
「さかい」とは「境」のことで、
中世、松尾の小笠原氏と伊賀良の下条氏との抗争の末、
定まった境界の土地が「境」にあたる。

web_100102-145320.jpg


国道沿いの石垣のある石段から境内に踏み入れると、
その先にまた石垣があるのが見えた。
その上に覆屋の拝殿があり、左右には末社の祠がある。
よく手入れされた綺麗な神社だ。


春日明神とは 天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比売神のことであり、
中臣氏・藤原氏の氏神である。
また、出雲で大国主の御子である建御名方神を破り、諏訪に追い詰めたのが
武甕槌命、経津主命である。
その二柱が信濃の出入口にあたる阿智に鎮座していることが興味深い。

また、八意思兼命は天児屋根命と同一神である、
と江戸時代後期の国学者・平田篤胤が説いているので、
八意思兼命の末裔とされる阿智祝の人々が、
春日明神を勧請するのは理にかなっていることでもある。

web_100102-145022.jpg


両隣は末社祠。
右手は稲荷や不明の石祠、
左手には諏訪社、浅間社など。
諏訪社には二本のミニ御柱があるそうなのだが、訪れたときはなかった。
それにしても、春日明神の隣に祀られた諏訪明神は肩身が狭くないのだろうか。
諏訪社には鍬大明神という神が一緒に祀られていた。
これは「お鍬さま」と言って三重から三河、南信にかけて分布する信仰で、
伊勢外宮の豊受大神のから出発した布教行列が発端とされている。
寛保2年(1742)に、伊勢国外宮から発したお鍬様が、
村から村へと支持者を増やしながら運ばれてきた時、
浪合関を預かる知久帯刀が、関の先の天領を通すことを警戒し、
追い返したと伝わる。


春日明神と諏訪明神の間に、奥へと続く道があった。
小高い丘の頂上に通じている。
とても気持ちの良い形をした丘だ。
頂上には天満宮と、祭神不明の木の祠があった。


web_100102-144834.jpg

スポンサーサイト

阿智神社に参るため、昼神温泉に戻った。
昼神の地名の由来には二つの説があるようだ。

・天思兼命は天岩戸に隠れた天照大神を導きだす方法を考え、
 昼の明るさを再び取り戻したことから昼神と呼ばれるようになった。

・昔、日本武尊がこの地を通った時、山の神が白鹿に化けて立ち憚った。
 そこで日本武尊は口に噛んでいた蒜(ニンニク)を投げつけ退治した。
 以来、ここを通る者は蒜を噛みながら通る風習になった。

前者は阿智神社の祭神、天思兼命に因んだ話。
後者は日本書紀の記述だが、古事記では同じ話が、
足柄山の坂の神の逸話として書かれている。
日本武尊の東国侵入に対し、鹿を奉じる氏族が立ち向かったのだろうか。


web_100102-134135.jpg

昼神温泉の入り口は、藁で作った巨大な顔が睨みを効かせていた。
似たようなものに、芦ノ尻の道祖神がある。
http://www.localinfo.nagano-idc.com/kanko/oooka/index.html
ただし、昼神では道祖神とは呼ばず、湯屋守様(ゆやもりさま)。
村境だけではなく、温泉施設の入り口にも小さな湯屋守様が祀られていた。
性格も道祖神とは微妙に違う。
昼神では、冬に神々が温泉に浸かって休まれるので、
(千と千尋の湯屋の世界観が本当にあった…)
その間、神々に代わって村を守る役目を担っているのだ。
湯屋守様は12月に登場し、3月には焚き上げられる。

この湯屋守様は、「ほんやり様」の形を模して作られたそうで、
「ほんやり様」とは南信州版どんと焼きのことだという。
つまりは、どんと焼きの小屋に顔を付けたもののようだ。
ちなみに「ほんやり様」には興味深い唄がある。

   ホーホホーホ ほんやりホーホ
   ほんやりさま 馬鹿で
   出雲の国でーかけて
   あとでは焼かれた
   ホーホホーホ

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=GjkRmya0DfM


辻の大きな湯屋守様の向かいに、阿智神社が鎮座している。

web_100102-134438.jpg


温泉地の街中に鳥居があるので、先ほどはつい見落としてしまい、
先に奥宮に着いてしまったのだった。
一応ここが阿智神社前宮ということになっている。

社伝によれば、人皇第八代孝元天皇五年春正月、
天八意思兼命は御児の天手力男命と天表春命を連れ
信濃阿智の里に降り立った。
そして宮を建て阿智祝の祖となり、
手力男は高天原から投げ下ろした天岩戸が戸隠山になった縁から、
戸隠山の守護神九頭龍権現の招きを受けて戸隠の奥に遷ったという。

また、天八意思兼命は稲穂の籾が一定していることに気付き、
籾殻を十個並べて一寸とし、単位制定して「曲尺」を考案し、
これを使って高天原の宮殿を建てた為、
建築・土木の神としても信仰されている。
家を建てる際の手斧初の儀式の際にも祀られるそうだ。


web_100102-135033.jpg

由緒書には少々物騒なことが書いてあった。

~太古より信濃に跋扈する出雲系諏訪族に対抗する
天孫系氏族の尖兵として信濃の国境を押さえる最重要地点
御坂の東麓この地に来たり駐留し、その部曲の民を率いて
阿智地方を中心に伊那西南部一帯の経営開拓にあたった~

古事記によると建御名方神は、出雲から逃れ最終的に諏訪に落ち着き、
諏訪から一切動かないことを約束したという。
神話といえども歴史的、政治的意図を反映していると考えると、
諏訪に落ち着いた出雲の神に対し、押さえを置くのは真っ当なこと。
その後、北の玄関口にあたる戸隠に分霊したことも、
信濃の押さえの意味に感じられる。
同じく天八意思兼命を祀る秩父も加えると、
ちょうど三角の中に信濃がすっぽり入るのだが、それは空想の域を出ない。

maphiruKAMI.jpg


それにしても、ほんやりさまの唄は、
禁を破って出雲に行って焼かれてしまったことを唄っているのだろうか。


なんだか複雑な気分でお参りした。

web_100102-135325.jpg


1月2日

大晦日に降り積もった雪がある程度溶けたので、飯田を訪れてみた。
目指すは阿智村昼神温泉。
東山道の信濃の玄関口である。

mapachi.jpg



国境の神坂峠は古くは信濃坂と呼ばれ、
『今昔物語集』藤原陳忠の逸話で有名だ。

今昔物語集 巻28
「信濃守藤原陳忠落入御坂語 第三十八」

信濃守の任期を終え京へ帰還する陳忠は、
信濃・美濃国境の神坂峠を過ぎるとき、
乗っている馬が橋を踏み外し、馬ごと深い谷へ転落した。
随行者たちが谷を見下ろすと、とても生存しているようには思われなかった。
しかし、谷底から陳忠の「かごに縄をつけて降ろせ」との声が聞こえ、
かごを降ろし、引き上げてみるとかごには陳忠ではなく
ヒラタケが満載されていた。再度かごを降ろし、
引き上げると今度こそ陳忠がかごに乗っていたが、
片手に一杯のヒラタケを掴んでいる。随行者たちが安心し、
かつ呆れていると、陳忠は「転落途中に木に引っかかってみれば、
すぐそばにヒラタケがたくさん生えているではないか。
宝の山に入って手ぶらで出てくるのは悔やみきれない。
『受領は倒るるところに土をつかめ』と言うではないか。」と言い放った。

その阿智村に何の用があるかといえば、
ここは全国でも珍しい、八意思兼神を祀っている阿智神社が鎮座しているのだ。
八意思兼命は天岩戸開きに関わった有名な神であるにも関わらず、
阿智神社、戸隠神社、秩父神社、と祀られている神社は数少ない。

さすがに諏訪からでも遠いので、高速をつかう。
飯田で降りて、昼神温泉に至り、温泉街を通っていると、
なんと、阿智神社を通り越してしまった。
温泉街の真っただ中に鎮座していたのだ。

一本道でどうにも引き返しにくいので、そのまま奥宮に向かった。

web_100102-131201.jpg


黒川と本谷川の合流点に突き出した岬状の小山に鎮座し、
地元では「山王さん」と呼ばれているそうだ。
別名を河合陵(かわいのみささぎ)。
奥宮と聞いて雪山の中を歩くことを想像して行ってみたが、
そこは旧中山道に面した場所で、容易に車で乗り入れることが出来た。

鳥居を潜ると目の前の高台の上に、玉垣に囲まれた磐座が見えた。
風に吹かれた木立から雪がはらはらと舞い落ち、光にきらめいた。
その高台に沿うように、石段を上っていく。

web_100102-131259.jpg

web_100102-132614.jpg


正月だというのに、まったく人の訪れた気配がない。
社殿の正面から近づく。どうやら石舞台のようだ。
まっさらの雪の上に足跡を付けて歩くのが、
なんだか申し訳ない気分になった。
この舞台は降臨祭で吾道女舞(あちめのまい)奉納が行われる、
ということを後で知った。

社殿の右手に、先ほど見えた磐座への石段が続いていた。

web_100102-131906.jpg

web_100102-132137.jpg


大きな木の側に、上部が平らな巨石がある。
雪で埋まって見えないが、資料によると中央に窪みがあり、
4つの角はそれぞれ東西南北に対応している。
この磐座こそが、河合陵の名の由来となった磐座であり、
八意思兼命と天表春命(アメノウワハル)の墓所だと伝わっている。

八意思兼命はその子、天手力男命と天表春命を引き連れ、
孝元天皇五年春正月、この地に降り立ったとされている。
その後、天手力男命は戸隠へ遷り、
天表春命はこの地に留まり阿智祝部の祖となった。
上古信濃国開拓の三大古族は、阿智氏、安曇氏、諏訪氏と言われているが、
この阿智氏の本貫地がここ阿智村なのである。

web_100102-132206.jpg


磐座の上には竹炭が意味ありげな形に置かれていた。
平たい竹炭が三角形、それに細い竹炭が十字に寄りかかるように重なっていた。
意味は分からないが、明らかに人為的なものだ。
動かしてはいけない気がしたので、触らないようにしておいた。


Design by mi104c.
Copyright © 2010 風と土の記録, All rights reserved.




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。