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2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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5月8日


熊野本宮から海辺に出て、国道42号線を南下、
補陀落渡海の捨身行で有名な補陀洛山寺から、
那智川沿いに山間部に入っていく。
つづら折りの山道を経て、わずかなスペースの駐車場に至る。
運良く先客の一台が出て行ったので、
すんなりと駐車場に入ることが出来た。


飛瀧神社(ひろうじんじゃ)。

鳥居をくぐると、参道は下に向かっていた。
樹齢を重ねた大木に囲まれた参道は、
参拝者の気持ちをぐっと引き締める。
決して広い境内ではないが、
何か”気”のようなものが漲っているのが肌で感じられた。
耳の奥で、轟音がこだまするような気にもなってくる。

参道を降りきると、開けた小さな空間に社務所が建ってた。
社殿はない。
広場の先端に鳥居があり、そこから仰ぎ見るようになっているのだ。



20070508-144738.jpg



圧倒的な迫力だった。
遙拝所から沢の斜面を隔てたその向こうに、
ドドドドドドドドドドドドドドドド・・・
と水が落ちている。
霧と化した御神水が気持ち良い。
森の木々の隙間から漏れた光が、
滝の前の岩に降り注いだ。
私に撮れと言わんばかりだ。
すかさず撮った。
しばらくして光は消えた。


御幣で祀られた岩は、正確な由来は分からないが、
本来は岩が祭壇そのものだったのだろう。
時には神懸かりになり、岩に乗って滝と対峙したかもしれない。
大いなる滝を背負い、民衆達に神託を降す指導者、
そのような神々しい光景が目に浮かんだ。

熊野那智大社に属する飛瀧神社は、
神仏習合の時代、天台宗那智山青岸渡寺を中心に行われた、
那智四十八滝回峰行の一の滝とされている。
残念なことに、明治初期の神仏分離令・修験道廃止令によって、
厳密な秘密主義で、口伝を主とする那智滝行の行法作法は、
ほとんど失われてしまったという。
1991年、これら失われた那智四十八滝回峰行は、
わずかに残された古文書や古地図によって、
地元の有志たちがなんとか復興させたのが、
せめてもの救いである。

熊野信仰が都の貴族の間で広まったのが平安中期以降だが、
伝承でいう天竺より来た裸形上人による開基が仁徳天皇の時代。
遡って神武天皇の東征の成功の決め手とされた場所も熊野。
よほど熊野は重要な位置を占めていたらしい。
そもそも熊野の”熊”の字には
”神”の意が含まれているという。
宗派も教理も無い時代、畏るべきは人の理解を超えた
大自然の現象であり、その意味で那智の大滝は
充分その対象となるに相応しい迫力を持っている。
これに神を見ずとして、果たして何に見るというのか。

東征時、土地の神の毒気にやられ、危機に陥った神武一行。
見かねた天上界の神々は、救いの手をさしのべた。
高倉下神の倉の屋根を突き破り床に突き立った、
霊剣布都御魂剣を授かったことによって、
神武も兵たちも士気を挙げ、辺りの敵を打ち破ったという。
私には天から剣が降ってくるイメージが、
どうしても那智の大滝のイメージと重なる。
いや、剣でなくても良い。
神武達を励ます何かが、熊野の地で降ってきたことは
確かなことなのだろう。


















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