2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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暦の上では夏ももう終わらんとするとある週末、
妻が”アルビレックス新潟vs大分トリニータ”を見たいというので、
はるばる新潟市まで遠征した。
こういう場合、妻はスタジアムでサポーター仲間と合流し、
あとは別行動になるので、私は予てから行ってみたかった、
新津の北方文化博物館に脚を伸ばした。

元は新潟一の豪農、伊藤家の館だったのが、
昭和21年に遺構保存のため、七代伊藤文吉氏と、
進駐軍ライト中尉の協力で、戦後初の私立博物館として
財団法人化したのが現在の姿。
敷地8,800坪、建坪1,200坪、
母屋の部屋数65を数える純日本式住居は、
今なお在りし日の豪農の生活を彷彿させる。
私はこれを、山形の友からことある事に聞かされていたので、
今回やっと念願適っての訪問と相成ったのだ。


阿賀野川を河川敷に延々と広がる農地を横目に見ながら
沢海に至る。ビッグスワンこと新潟スタジアムから車で30分強。
どうもこの日は近所の神社のお祭りだったようで、
狭い道で御輿の行列とすれ違う。
御輿といっても軽トラの荷台と合体した、近頃よくあるタイプの御輿で、
氏子たちが道を譲った私に会釈して通り過ぎていった。

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北方文化博物館の櫓門で入館料800円を払い、
広い前庭を歩くと、道の脇の竹林で石仏たちが出迎えてくれた。
いつからこの庭に鎮座しているのかは分からないが、
石の風化の具合から見ても、相当古いものに違いない。
手を合わせた後、私はついつい写真を撮っていた。
いやはや習性とは恐ろしいものである。



伊藤邸は”コ”の字形をしていて、正面玄関を入って右が
土間続きの台所、玄関からあがってすぐの部屋が囲炉裏の間。

台所にはレンガ作りの竈があり、棚には厨房用品が並んでいた。
明治の半ばの伊藤家は、家族の他に60名近い使用人がいたそうで、
毎朝1俵(60?)の米が炊かれたという。
実生活でも鉄瓶や鉄鍋を使っている私は、
こういうものに目がないのだが、
さすがにこれほど大量の厨房用品をみると、
あきれかえってしまうばかりである。

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囲炉裏の茶の間は何部屋もあり、それぞれの自在鉤に
鍋や鉄瓶が掛かっていた。
天上の重なりあった大きな太い梁が、
ここが雪深い地であることを物語っている。

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常々私は囲炉裏のある生活に憧れているのだが、
さすがにこんなに囲炉裏があると管理が大変そうだ。
将来は八ヶ岳の中腹に小さな庵を結び、
ひっそりと生きていきたいものである。

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”コ”の字形の屋敷の奥側は、座敷と裏座敷になっている。
南面の美しい庭に面した土縁の上には、
会津から運んだ長さ15間半(約28m)の
通しの杉の丸桁を使っており、圧巻である。
縁側に腰を下ろしぼんやりと庭を眺めた。
先程のお御輿だろうか、肌をなでる風に
かすかに笛の音が混じっていた。

実は先に述べた山形の友としばしば語り合っていた内容は、
この縁側に仲間達とずらっと並んで酒を呑みたいな、
といったことなのだ。
さぞかしうまい酒になることだろう。

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