2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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9月29日

子の権現の参拝を終え、同じ山の尾根続きである竹寺に向かった。
竹寺へは、子の権現に登ってきた道を再び降りて、
県道53号を南下、高麗の方から登る道が一般的なようだが、
とても雨の悪路を戻る気にはなれなかったので、
門前で作業をしていた人に聞いてみたところ、
抜け道があることが分かった。
鳥居の前、なかばトレッキングコースと同化したような道が、
車も通行可能だという。
しばらく走ると隠れ里といった感じの集落に降り、
そこから竹寺へと再び山道を登ることとなった。
こちらの道は幅も広く、子の権現ほど不安感はなかった。
駐車場には観光バス。竹寺は武蔵野三十三観音霊場三十三番の結願寺。
知名度も高いのでもっともなことではある。

駐車場から境内に向かうと、その名の通り竹林が迎えてくれた。
石の鳥居を潜り抜けると、そこには不思議な世界が待っていた。


竹寺の正式名称は医王山薬寿院八王寺。
子の権現と同じく、寺の名を持つが鳥居が結界を張っている。
それは子の権現でも同じことだったが、
竹寺ではそこかしこに色々な寄進物が佇んでいる。
東南アジア風の母子像、やたらとマッチョムキムキな牛頭天王像、
朽ちた錨、様々な歌碑等々。
どうも中国や東南アジアからの寄進が目立つ。
だがそのまとまりの無さが、混沌たる俗信を表しているようで心地よい。
境内右手の庫裏では、先ほどの観光バスの客人たちが、
昼食をとっているようだ。
後で知ったのだが、竹寺の精進料理は有名らしい。
その日はとても忙しそうだったので遠慮したが、
次の機会には是非とも味わってみたい。

境内奥に、竹で出来た細い鳥居が稲荷社のごとく連なっており、
その先は山になっている。
山の斜面に鳥居が設けられ、そこには立派な茅の輪が掛かっている。


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竹寺の歴史は、天安元年(857)に慈覚大師が東国巡礼の際、
病人が多いのを憐み、この地に道場を造ったことにはじまる。
疫病といえば牛頭天王と茅の輪。とはいえ牛頭天王は謎の多い神である。
疫病退散の茅の輪は、『備後国風土記』の蘇民将来の話に由来する。
すなわち、ある時、武塔神が旅の途中、宿を求めて民家を訪ねた。
対応した巨旦将来は裕福にも関わらずそれを拒んだが、
巨旦の兄で貧しい暮らしをしている蘇民将来が、武塔神を家に泊めた。
武塔神が再び村を訪れた時、蘇民将来の親類には
茅で作った目印を腰に付けさせ、それ以外の巨旦の一族を滅ぼしたという。
その時に、武塔神が自らを素戔嗚尊だと名乗ったことから、
蘇民将来の物語は素戔嗚尊のものとされた。
また京都の祇園寺(観慶寺)の門前街・祇園の守り神が、
八坂神社の素戔嗚尊だったため、
インドの祇園精舎の守護神である牛頭天王と同一視され、
素戔嗚尊=牛頭天王 の構図が出来た。
故に、 牛頭天王=素戔嗚尊=武塔神=疫病神 
と、ざっくばらんに言うとこうなるようだ。

20070929-120000.jpg


竹寺の本堂は、もはや寺と言ってよいものかどうか。
何も知らずに来ると、神社と勘違いしてしまう。
いや、いまや神社と寺の区別もつかない時代、
名前と外観の不一致さえも気にならないかもしれないが…

右手の手水場は、竹製の蛇口に竹製の柄杓で洒落ている。
竹寺全体に、こういった洒落っ気が感じられるのは、
住職の志が高いからであろうか。
不思議な置物もチラホラとはあるが、
それを含めてとても気持ちのよい空気が漂っている。

本尊の牛頭天王に参拝。
こう言えても私は蘇民将来の子孫だったこともあるので、
良き縁に結ばれたことに感謝の意を表明。
本堂の扉は少し開いていて、中には護摩壇が設けられていた。
そしてその先には牛頭天王らしき、角の生えた小さな像。
あまり見慣れぬ光景に、失礼ながらも写真を撮らせて貰った。
扉の向こうには、一体何があるのだろう?


20070929-112808.jpg



本堂をぐるりとまわる。
下手側、つまりは山肌とは反対側が開けていて、
辺りの風景を見渡すことが出来る。
この日は霧がかかって真っ白だったが、
天気が良いとさぞかし眺めが良いのだろう。

ふと、折れた木に目をやってギョッとした。


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木の幹から牛頭天王が…
諸星大二郎の世界に迷い込んだのかと思った。

何でもこの彫刻は、落雷で折れた御神木に東南アジアの彫刻家が、
牛頭天王を掘ったそうだ。
そういえば仏教が日本に浸透してきた時期、
仏像は巨大な御神木から刻み出していたというが、それと同じ感覚か。
その後、平成11年の本殿焼失の際、
燃えさかる炎に表面を焦がしたらしい。
御神木は落雷で形を変えてもなお、竹寺の歴史を見つめてきたのだ。
黒く焦げた表面が彫刻に表情を与え、
牛頭天王の陰に満ちた性質を表しているよう。
偶然とはいえ、彫刻に宿ったものの成したことのようにも思われた。
そのうち幹から腰を上げそうな、そんな気もしなくはない。

彫刻をよく見ると、牛頭天王の手前には黒こげになった動物が、
またその足の後ろには炎を免れた猫のような動物が掘られていた。
片方は滅び、片方は助ける。
蘇民将来の物語を彷彿させる、と思うのは考えすぎだろうか…

















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