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2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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10月7日 


ヒスイ工房跡の遺跡を見た後、山道を走って黒姫山に登った。
この山の中腹には、奴奈川姫の誕生地にして、
大国主命の求婚を受けた場所とも伝えられている、
福来口(ふくがくち)鍾乳洞があるのだ。

山道に入ると、県道が封鎖され、代わりに工場の中を通れように、
との看板が出ていた。恐る恐る工場に乗り入れると、
けたたましいサイレン音!
セコム?!かと思ったけど、
良く聞くと「車が通ります。」とのアナウンス。
あ~ビックリした。

気を取り直して山道をひたすら走る。
走って走ってかなりの標高まで達した。
が、どこにもそれらしき穴は見当たらない。
ナビの地図(山の中だと案内を放棄する…)を見てみると、
どうも鍾乳洞へ続く分岐を通りすぎていたようだが、
途中そんな道は見当たらなかった。

このまま行っても時間の無駄だと、引き返してみる。
地図の曲がり具合などと照らし合わせてみると、
鉱業関係者以外立ち入り禁止のゲートのある道が、
目的の道だったようだ。
ナビではちゃんとルート表示されているということは、
数年前までは封鎖されて居なかったのだろうか。

仕方が無いので、麓に降りる道を戻り、
見晴らしの良い場所から眺めてみることに。
そういえば、ネットで福来口の写真を探すと、
どれもこれも遠くからの写真しか無かったのを不思議に思っていたが、
みな同じ思いをしたのだろう。

肝心の福来口は見えた。
遠くからでも大きな穴がぽかりと空いている様子が分かる。
その少し下には滝があったので、
もしかしたら福来口から水が流れているのかも知れない。

夫来口とも書く福来口。
夫とはむろん大国主命のことだ。
この地に誕生した奴奈川姫は、大国主命が迎えに来るまでは、
機を織り、川の水で布をさらして暮らしていたという。
大国主命が越の奴奈川姫を娶ったことは、神話でおなじみの話だが、
ただ単に訪ねてきて求婚したのではないようだ。
上越の伝承では、出雲から来た大国主命が求婚に際し、
土着の豪族を切り従えた後の求婚だったようであるが、
福来口にしても、一説には奴奈川姫の夫を破って、姫を奪った場所ともいう。
ただのロマンスでは語ることのできない、いわく付きの場所なのだ。

しかし、あろう事か現在の福来口は、すぐ近くまで削り取られていた。
黒姫山は石灰質の山なので、セメント業者によって
無惨な姿になりつつあったのだ。
そういえば、山の麓の工場はセメント工場だった。
そのうち、福来口を望める場所にも、来ることが出来なくなるのだろうか。

        *  *  *   

山を下り、国道8号を北上。
国道8号はずっと海岸線を走るので、すこぶる気持ちが良い。
途中、糸魚川市の魚市場で鮮魚祭がやっていたので
磯焼きのコーナーで昼食。
さすが魚市場だけあって新鮮。しかも量が多く、
一人で食べるのがもったいないくらいだった。
こういうときは、どうしても一人旅の寂しさを感じてしまう。

糸魚川の市街地を抜けると、信号も少なくなり快適そのもの。
左に日本海、右に山並み、雲一つ無い青空が眠気を誘う。
眠気覚まし、というわけではないが、
途中、気になっていた神社に立ち寄った。


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乳母が嶽神社。
祭神は奴奈川姫と八千矛命(大国主命)
ただし、鳥居の神名には加具奴知命(カクツチの誤記か?)とあって、
詳細は不明。
鳥居前には大きく「諏訪社」と書かれた碑があり、
否が応でも奴奈川姫との関係を思い浮かべる。

神社の由来書きには、源義朝の家臣、野宮権丸郎(権九郎?)
が落ち延びてこの地に隠棲したとき、
ここの海で東西から織り交う「四海波」の沖合から霊象を得て
これを祀ったところ、「乳不足の婦人はわれを祈念せよ」
とのお告げがあったという。
以来、この神社は乳不足の婦人に霊験があるという。


ただ、土地の伝承では、
建御名方命の乳母を務めた女性の墳墓とも、
奴奈川姫自身の墳墓とも言われているようだ。

奴奈川姫は、建御名方命を生んだ後、大国主命と仲良く暮らしていたが、
ある日、出雲で大国主命の父(素戔嗚尊)が亡くなったとの知らせが届く。
大国主命は姫を連れ出雲に帰ろうとするが、
出雲に居る他の夫人に会いたくないので、姫は出雲入りを拒んだ。
命は姫が寝ているすきに舟に乗せ就航したが、
能登で気がついた姫は、逃げて国元に帰ってきた。

追っ手から逃れ、各地に伝説を残しつつ、
最終的にたどり着いたのが吉が浦。
景観の良いこの地にしばらく逗留していたが、
そのうちに、子の建御名方命が説得にやってきた。
だが、テコでも動かない母に根負けした息子は、
この地に宮殿を建ててあげ、姫はこの地で天寿を全うしたのだ。


海岸沿いの高台に位置するこの神社。
国道8号から小さな脇道を入ったが、案内もなく探し出すのに苦労した。
集落からも少し離れ、訪れるものも少ないのだろう。
落ち葉が一面に積もっていた。
神社から少し歩くと、木々が途切れ眼下に日本海を見渡せる場所があった。
ちょうど北西に向かって開けている。
姫は海の彼方に去っていった夫を思いつつ、
生涯をこの地で過ごしたのであろうか。


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