2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


12月1日

web-071201-016.jpg 

大田区久が原に、おしゃもじ様の祠があると知ったのは、
ちょうど一年前のことだった。
仕事で訪れた先で、その日がおしゃもじ様の日だったこと、
朝早くに行くと紅白の餅が貰えることなどを知り、
興味が湧いたのだ。
とはいえ、その日はもう時すでに遅し。
一年後のこの日をどんなに待ちわびたことか。

当日。
さすがに朝が辛い季節になってきた。
隣の区だとはいえ、万全を期して朝7時半には家を出た。
たまたま土曜日だったので、道も混んでなく順調に目的地に到着。
が、なんと…
開始は10時からだという。
8時か9時だと記憶していたが、どうも間違いだったらしい。
仕方がないから、辺りを散策して時間を潰した。

この辺りはずいぶん古い石碑が多い。
環八につかず離れずで御嶽神社まで歩いたところ、
庚申塔を5つほど見つけることが出来た。
不思議なことに、この近辺では、庚申塔もおしゃもじ様も、
一緒くたに道祖神と呼んでいた。
庚申塔によっては、わらじが大量に奉納されていたりもするので、
決して話してくれた人の勘違いではなく、
旅や足腰の神様として、道祖神と呼ばれているようだった。
御嶽神社も、信仰心あふれる活き活きとした神社だったが、
御嶽講の関係で、足腰の神様を祀ることが多い土地なのだろうか。

web-071201-025.jpg web-071201-041.jpg


散策から戻ってくると、おしゃもじ様の祠の前に、
チラホラと参詣者が集まってきていた。
朝にはなかった神棚や床几が出され、氏子達がせわしく準備をしている。
神前には、おしゃもじ様の石碑の前に鏡餅が供えてあった。
並んでいる人たちは、近所の年配の方ばかり。
内輪すぎて余所者の私は何となく居心地が悪かったが、
話してみると、誰でも参加できるから気にしなくていいと言ってくれ
内心ホッとした。
どこの地域でも言えることだが、若い人の参加は減る一方で、
私のような人は珍しがられることが多い。

そうこうしていると、おしゃもじ様の通り沿いにある八幡神社から、
神主がやって来た。
先導するのは中学生くらいの娘さんで、
手には風呂敷包みを仰々しく捧げ持っている。
神主が、祠の横の床几に位置取り、祭礼が始まった。

web-071201-095851.jpg



四方を祓い清めたあと、祝詞の奏上。
道を挟んで列になってる一同も、一斉に頭を下げて祈願する。
おしゃもじ様は、風邪の予防の神様として、地域の住民に親しまれているのだ。
私は既に風邪を引いていたのだが、これ以上悪くならないように祈願した。
(この日を境に、咳が落ち着いてきたことを付け加えておこう。)

web-071201-057.jpg web-071201-060.jpg


祝詞奏上が終わり、玉串奉奠。
神主から始まり、次々と榊に紙垂をかけた玉串を神前に奉奠する。
道いっぱいに広がった列は、このためのものだったのだ。

参拝の列は、祠の横で御神酒と紅白の餅を貰う。
その他に、餅の販売もしていて、紅白4つ入って500円だ。
風邪予防の神様の餅なので、皆大量に買い込んでいた。
私も2包みいただいた。

web-071201-056.jpg


ただこれだけの祭礼だが、住宅街の真ん中で、
今も絶えずに続けられているところが素晴らしい。
老人の語るには、子供の頃はおしゃもじ様の境内ももっと広く、
辺り一面は雑木林だったとのこと。
目の前の小道は、多摩川の材木輸送のための道で、
交通量も多く賑わっていたそうだ。
いつのまにやら境内が削られ、周辺に民家が建ち、
辺りの景観はすっかり変わってしまったと、
往時を懐かしんでいた。
当然ながら、その頃からずっと変わらず
おしゃもじ様の祭礼があったという。
今は残されたのはおしゃもじ様の祠と、目の前の大木一本。
それでも、必要最低限の面影を残ながら、
おしゃもじ様の伝統はずっと受け継がれていくのだろう。
そう願いたい。

web-071201-014.jpg


















管理者にだけ表示を許可する


Design by mi104c.
Copyright © 2017 風と土の記録, All rights reserved.




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。