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2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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2月12日

友人が仕事で甲州へ行くという。
久々に甲府盆地の土を踏みたかったので、
車で同行することにした。

9時頃家を出て、調布インターから高速に乗った。
いつも中央道は大月で降りることにしている。
ちょうど昼時、甲州街道から富士みち(国道139号)に入り、都留市に。
うどんといえば吉田うどんが有名だが、富士吉田はちょっと遠い。
お隣の都留にも、吉田うどんと同じ系統のうどんがあるので、
私はいつも都留に寄るのだ。

禾生(かせい)の「山もとうどん」でたらふくうどんを食す。
学生の頃は、大盛りでも足りないくらいだったのだが、
最近は中盛りで充分だ。ごんぶとでコシの強すぎる麺が愛おしい。


うどんで腹を満たした後は、甲州街道で甲府盆地へ。
笹子トンネルを抜けると、目の前は舞い落ちる雪。
郡内地方(都留一帯)と国中地方(甲府一帯)は土地柄が違う、
という話を思い出した。
そういえば友人と運転を代わっていたので、
車窓の風景でも撮っておけば良かった。と今になって後悔。
しかし、甲府に近づくに連れて雪は雨に変わり、
この日の行動に多少の不安を覚えた。


13時ころ、友人の目的地に到着。
2時間ほど時間が空くので、久々に甲州の民俗探訪。
まずは、昭和町の義清神社へ。

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義清神社は、甲斐源氏の祖、源義清を祀る神社。
義清の没後、居館内に社を建て祀られたのが始まりらしい。
義清の父は、なんとあの有名な新羅三郎源義光なのだ。
平安後期、常陸国に拠点を置いていた義光は、
三男の義清に同国武田郷を支配を任せる。
武田郷の義清さんだから武田義清という名を名乗ったわけだけど、
武田義清は土地の豪族ともめ事を起こし、甲斐国に配流になったのだ。
ところが、これが甲斐を中心に源氏が栄える切っ掛けとなり、
武田本流はもとより、小笠原をはじめとする
数々の名族を生み出していったのだ。

などと書いても、まったく興味が湧かない人が大半だと思うけど…

なぜ義清神社に参ったかというと、我が苗字の家系は、
元をず~~~~~~~っと辿っていけば、この源義清にたどり着くからだ。
これは挨拶に参らないわけにはいかない。
ということで、真っ先にお参りに行った。

境内には馬の石像。

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武田氏は甲斐国に配流になったのち、馬産によって繁栄したという。
今でも巨摩郡や駒ヶ岳の地名が残っているが、
古くから牧(馬や牛を育てる、いわゆる牧場)があったのだ。
馬を基盤に栄え、馬と共に生きた武田氏。
最強の騎馬軍団も、織田の近代兵器に壊滅されられた後は、
見るも無惨に衰退していった。
1582年、武田勝頼の死によって武田嫡流が滅ぶ。
1130年の武田義清の甲斐入りから、実に4世紀半後のことだった。

そういったわけで、この義清公がいなければ今の私はいないわけで、
なかなか感慨深い思いに浸ったひとときだった。

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