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2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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5月5日

この日は府中で用事があったので、夕方、お祭りを覗いてみた。
5月3日から6日早朝にかけて、
武蔵国惣社・大国魂神社の例大祭、通称くらやみ祭が行われていたのだ。
特に5日の夜は、最大の見せ場「神輿渡御」が行われる。
昔は、夜中に御輿渡御が行われたそうで、
高張提灯を一斉に消して、真っ暗闇の中を御輿が練り歩いた。
それゆえ「くらやみ祭」と呼ばれるようになったそうだ。
もちろん、祭の興奮と闇夜とくれば、行われることはただ一つ。
それゆえに「くらやみ祭」なのだとも思う。

さて、現代では当然そのようなことはない。
神輿渡御が終わり、各御輿が御旅所に入ると、
神社周辺の交通規制も解かれ、観客も減っていく。

はて?この後に流鏑馬があるはずだが…
警備に当たっていた警察官に訊いてみると、
「今日の行事はこれで終わり。」とのこと。
流鏑馬があると訊いたのだが…とさらに訊くも、
昔はあったけど今は周辺の迷惑なのでやらない、と。
周りでも、流鏑馬目当てでやって来たらしい集団が、
同じような問答を繰り返していた。
観客が増えると警備上困るから、ひた隠しにしているのだろうか?

なんだか狐につままれたようで、諦めきれずにウロウロしていると、
なんと、街を移動する御神馬を見かけた。
その御神馬一行に付いていくと、神社の西の街中に、
戸口を大きく開けはなった民家と思しき建物があり、
入り口に提灯と注連縄が掛かっていた。

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「野口仮屋」と掛け軸にある。
部屋を囲むように円座が並び、膳には粽や揚げ物が並んでいた。
馬に付いてきて、面白いものを発見してしまった。

野口仮屋のしおりをもらったので、読んでみた。

 往古、武蔵国を開発された大国主命が、
 はじめてこの府中に御降臨になった折、
 ある民家に一夜の宿を乞うたところすげなく断られ・・・

どこかで聞いた話だ。
きっと次の家で泊めてもらえるのだろう。

 ・・・その晩はちょうど主人の妻が出産中であり、
 お産の穢れを申しあげたところ大国主命は、
 お産は決して忌まないからとのことであったので、
 丁寧に御待遇申し上げたのが、「野口仮屋の饗膳勧盃の古式」
 の縁起で例年大国魂神社例大祭当日の五月五日午後十時半頃行われる。

蘇民将来譚が下敷きになっているようだ。
調べてみると、大国魂神社が武蔵の六所宮を集めて総社となる以前は、
式内社・大麻止乃豆乃天神社だったとの説があるようだ。
現在府中市の対岸にある稲城市大丸の大麻止乃豆乃天神社には、
境内社に牛頭天王社がある。なんらかの関係があるのだろうか。

ちなみに、物忌みの最中に泊めてもらうのは、むしろ。『常陸国風土記』の
少彦名神の筑波山訪問に似ている。
国造りを終えた後、諸国を訪ね歩いていたスクナヒコナは、
一夜の宿を富士山の神に求めた。
しかし富士山の神はそれを拒んだため、スクナヒコナは呪いの言葉を残し、立ち去った。
そして筑波山の神に一夜の宿を乞うたところ、新穀祭の物忌み中だったがスクナヒコナを饗応して宿をかした。
以来、富士山は雪に閉ざされ米の作れぬ不毛の地に、
筑波山は祝福され、穀物の豊かな土地となったという。

府中の隣、調布の鎮守・布多天神社には、少彦名神が祀られている。
旧甲州街道に沿った両社には、当然交流があったことだろう。
そもそも武蔵国は出雲の影響が強い。
武蔵国造は出雲臣の出で、その国府たる調布周辺には出雲の神が祀られていてしかるべきだ。
野口仮屋伝説が、スサノオと習合されている蘇民将来譚と、
東国のスクナヒコナ伝承が混ざったものだと考えても、あながち見当違いではないであろう。

ちなみに野口仮屋伝説では、宿を断った家がどうなったかは伝わっていないが、
宿を貸した野口家は、今や市長を出すほどの家になっている。

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そうこうしているうちに、仮屋の西にある御旅所から神官たちがやって来た。
ぞろぞろと仮屋に入っていき、東側から南面して列座する。
そして白丁に身を包んだ野口主人が接待。
一人一人に酒を注いでまわり、一斉に箸を付ける、
を何度か繰り返したあと、神官たちは仮屋を出ていった。

以前は、お産のシーンの再現も行っていたらしいと、
隣にいた人が教えてくれたが、今は絶えてしまったのか。
派手な御輿や大太鼓とは違って、観客も集まらない地味な神事だが、
主祭神 大国魂=大国主 の降臨を再現したこの神事は、
まさにくらやみ祭の核心とも言えるのではないだろうか。

 
仮屋を出た神官たちは、二手に分かれた。
浄衣を纏った宮司一行は神社の方へ、
エンジの狩衣を纏った神職は、馬に乗り再び御旅所へ。
流鏑馬が行われるのだろう。
どちらを追うか迷ったが、当初の目的通り流鏑馬へ。
(祭りの後、社務所で二手に分かれた意味を聞いたが、
「役割分担だから」などという身も蓋もない返事が返ってきた…)
裏道を通り御旅所へ急ぐ。
なんと、交通規制が復活していた。
まんまと警官に騙されるところだった。

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馬は人に囲まれて、極度に興奮している。
御旅所の所定の位置に着いても、右に左に暴れるので
観客は逃げまどい、馬子は押さえるのに必死だった。
そのうち、馬からそう離れていない場所に的が掲げられた。
射手は暴れる馬上で弓を構え、充分に充分に的を引きつける、
というか、的が寄ってくる。
それは近づきすぎだろう!?と突っ込みたくなるほどの距離で、
ビュンと矢を放つ。
お見事!

くらやみ祭では、御神矢を「やぶさめあたり矢」呼んで授与するそうだが、
それもそのはず、これでは的を外しようがないのだ。

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のはずだが、なんと二発目の矢は外れてしまった。
放つ瞬間に馬が暴れたのだ。
名誉のために、その瞬間の写真は掲載しないでおこう(笑)

三本の矢を放ち、流鏑馬は無事終了。
旧甲州街道を通って、一行は神社に帰っていった。
翌朝4時、祭は再開し御輿が御旅所から神社へ帰ってくるそうだ。
もしかして祭の衆は、このまま朝まで神社ではしゃぎ続けるのだろうか。
やっぱり「くらやみ祭」は今でも健在なのかもしれない。

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