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2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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5月17日

早朝、車で実家を出る。
父と母と私、大きくなっても子供はいつまでも子供のようで、
こういう時は父の威厳なのか、運転は必ず父の役目になる。
もう年も年なのだから無理しなくてもいいのに、そこは譲れないのだろう。

阪神高速に飛び乗り、中国道を通って米子道へ。
以前は島根といったらものすごく遠いイメージがあったが、
今は道が通じたのか、4時間もかからずに雲伯地方に入った。
米子で高速を降りたが、親戚の結婚式にはまだ時間がある。
父と母は結婚式に出席するので、14時頃松江で私と別れる。
結婚式の間、私は松江を観光しようという心積もりだ。

時間があるので、真っ直ぐ松江に行かずに、
米子や境港を通ってみることにした。
ちなみに、島根と鳥取の境目は区別が難しい。
地図を見ると、雲伯地方にぽっこりと飛び出た島根半島に湖がふたつ並んでいて、
西側が有名な宍道湖、東側は(正確には湖ではないのだが)中海という。
そのふたつの湖に挟まれた土地が島根県の松江。
中海の東岸から東は鳥取県だ。
米子も境港も、その中海の東岸に位置する都市で、対岸の松江と共に、
この地方の経済の中心地を形成しているのだ。

さきほど、中海は湖ではないと書いた。
中海は、北に100mあるかないかの天然の水路によって外海と繋がっている。
半島の根元から、びよーんと伸びた土地が、
どうしたわけか最後の最後に繋がることを拒んでいるかのようだ。
そしてこのびよーんと伸びた土地のことを、古代の出雲の人々は、弓ヶ浜と呼んだ。

出雲国風土記の「国引き神話」にはこうある。
八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は、
出雲の国は狭い若国(未完成の国)であるので、
他の国の余った土地を引っ張ってきて広く継ぎ足そうとした。
そして、佐比売山(三瓶山)と火神岳(大山)に綱をかけ、
以下のように「国来国来(くにこ くにこ)」と国を引き、
できた土地が現在の島根半島であるという。
国を引いた綱はそれぞれ薗の長浜(稲佐の浜)と弓浜半島になった。
そして、国引きを終えた八束水臣津野命が叫び声とともに
大地に杖を突き刺すと木が繁茂し「意宇の杜(おうのもり)」になったという。
(wikiより転載)

web_080517_103330.jpg


国道431号を走ると、延々と松林が続いている。
キリの良いところで、弓ヶ浜に車を停めてみた。
弓のように綺麗な弧を描き、白い砂浜が続いている…
と言いたいところだが、残念ながら所々に防波堤やテトラポットが点在。
海の方に目を向けると、島根半島の尻尾のような、
長く伸びた岬を見渡すことが出来る。これが美保関だ。

なるほど、島根半島の取って付け足したような地形を見ると、
国引き神話が生まれるのも無理はないと思う。
この後、宍道湖のほとりを延々と走ったのだが、
とても湖とは思えない雄大な風景が延々と続くさまは、
宍道湖は土地を引っ張ってくる前は海だった、
と言われたら信じてしまいそうなものであった。

国引き神話だけでなく、出雲には記紀とは一線を画した神話の世界がある。
何故そうなったかは、諸説あるが今のところ謎なのだ。
今回の旅は、記紀を忘れて出雲神話の世界にドップリ浸かる旅でもあった。

web_080517_103710.jpg

※父と美保関


続く

















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