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2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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5月17日午前

弓浜半島を貫く国道431号をずっと北上、
途中、境港を通るが、昼食にはまだ早いので、後に寄ることにして、
中海と外海をつなぐ境水道をまたぐ橋を渡った。
弓浜半島側(鳥取県)は平らな土地だが、
越から引っ張ってきたという島根半島は急峻な山が海に迫るので、
境水道大橋は、平地から大きなアーチを描いて、山の上につながっている。
そして、道はすぐに山の下へ降りていき、海岸線を東西につなげている。
我々は、美保神社へ向かうべく、進路を東へ取った。

ちなみにこの土地、”美保岬”と呼びたいところだが、美保関になっている。
関というからには、なにかとの境目なのだろう。
先ほど通ってきた弓ヶ浜は、別名”黄泉が浜”とも語られるそうで、
何やらこの世とあの世の関のようにも感じられる。
そしてそれを裏付けるように、美保関一体には古墳が沢山造られていた。
ネコの額という形容が相応しい、狭い土地にもかかわらず、である。

山の迫る海岸線らしいクネクネ曲がった道を、美保関の先まで走る。
小さな漁港に守られるように、美保神社はあった。

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美保神社は、エビスさまの総本山。
古事記で言うところの、事代主神が釣りをしていた海岸ということだ。
事代主神は本来は託宣の神とされ、漁業神のエビスとは全く関係ない。
エビス(蛭子)はイザナギ、イザナミの子供で、
足腰が立たないために海に流されたと日本神話は語る。
海に流すということは、どこかに漂着するわけで、
漁業民の間では、海からの漂着物や、クジラやイルカの類、
時には水死体などを豊漁をもたらすエビスとして祀っていたのだが、
いつのまにか、海で釣りをしていた事代主神が、エビスと呼ばれるようになった。
無論、これは同じ出雲の大国主神がダイコクと読めることから
大黒様とされるようになったという、七福神信仰ブームにあやかったことと、
発祥は同じくするものかと思われる。

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祭神は、エビスとされる事代主神と、その父・大国主神の后の三穂津姫命。
本殿は、大社造りを仲良くふたつ並べた「美保造」と呼ばれる独特のもの。
しかし、事代主の母が三穂津姫命かと思いきやそうではなく、義理の母だという。
事代主神にとっては、父の愛人と二人で暮らすようなものだけど、
果たしてそれでいいのか?
社務所で聞いてみると、なんでも三穂津姫は名前にミホが付くから、
などという返事が返ってきた…
が、三穂津姫は出雲に穀物をもたらした神だとも教えてくれた。
美保関は先にも書いたが異界との窓口であるが、それとともに、
実質的には、日本海交易の中継港であったはずだ。
これは、古代の貿易港の特徴として、直接海に面した港よりも、
大河や入り海になっている港のほうが、
停泊や内陸への物資の運搬などに適しているという利点がある。
それと共に、海上からの目印として抜群の大山を有するこの港である。
海外から出雲に穀物をもたらした第一便が、美保関に到着しても、
何も不思議はないと思えるのだ。

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しかしそれとは全く別に、出雲国風土記によると、
美保神社の祭神は、御穂須須美命(ミホススミ)とされている。
大穴持命(大国主)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた子である。
国引き神話によると、美保関は越国から引っ張ってきたことになっているので、
越国の妻との間の子がこの地に祀られるのは至極当然である。
でも・・・ミホススミって誰だ?
大国主と奴奈川姫の子というと、建御名方命のことなのだろうか?
出雲でタケミナカタの名前を全く見かけないこと、なにか関係がありそうだ。

しかし、もし御穂須須美=建御名方命だとすると、
国譲りを頑なに拒んだ越勢力の建御名方命が、
あっさりと国を譲った事代主に取って代わられているとは、
なんとも皮肉なことだ…

















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