2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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この人骨は、ゴボウラ貝の腕輪を着けていたことから、
女性シャーマンだということが判明している。
亡くなって1700年も経っているなんて信じられない。
優れた呪力を有する人物は、死してもなお美しさを保つという。
食い入るように見つめていると、危うく惹き込まれてしまいそうになった。

出雲大社の本殿特別拝観の行列に並ぶ前に立ち寄った大社町公民館。
見学するには市役所に事前予約が必要なのだが、あいにくこの日は日曜日。
公務員はお休みだが、神奈川から見学に行くと伝えると、
ありがたいことに、特別に資料館を開けてくれるという。
大鳥居の脇、消防署とコミュニティセンターのある施設の、
物置小屋のような小さな建物が資料館だった。
狭い室内に、雑然と遺物が並んでいる。
その中に、この女性の遺骸だけが異彩を放っていた。



 * * *



出雲大社を出て食事を済ませた後、大社の西脇から八雲山の山道に入っていった。
車が離合できないほどの狭く険しい道。
こんな道を使うのは地元の人くらいなものだろう、
などと思いながら運転していたが、
向こうからやってくる車さえもいなかった。
あまりに長い山道に母親はあきらかに不機嫌だ。
ブツブツと文句を言い出した頃、やっと開けた道に出た。
島根半島の北岸にへばりつくように民家が密集している。
寂れた漁村だった。鵜鷲という集落らしい。
集落の隣の浦が、目的の猪目海岸だ。

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この海岸に、凝灰岩が海食によって穿たれた洞窟がある。
東を向いて開いた入り口は、猪の目の形をしている。
このことが洞窟名の由来なのだろう。

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目の前に橋が架かり、その上漁具置き場になってしまっているが、
ここは古代、死者の葬送に使われていた。
「黄泉の穴」として、風土記に記載されている。

「磯より西の方に窟戸あり。高さ広さ各6尺ばかりなり。
 窟の内に穴あり、人入ること得ず。深き浅きを知らず。
 夢にこの磯の窟のほとりに至る者は必ず死ぬ。
 故、いにしえより今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と号くるなり。」

揖屋の黄泉津比良坂も黄泉の入り口とされているが、
のどかな丘陵に位置する黄泉津比良坂と比べると、
猪目洞窟はまさに、「あの世の入り口」といった、
おどろおどろしい気が流れていた。
この洞窟の奥に、白骨の巫女が埋葬されていたのだ。

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昭和22年、船着き場の拡張工事の際、
堆積した凝灰石の石片や砂を取り除いたところ、
弥生時代から古墳時代の人骨が十数体発見された。
屈葬から伸展葬、舟材を使った木棺墓や、
稲籾の入った須恵器の壺の副葬品を伴った人骨など、
長期間に渡って葬送場として使用されてきたことが分かった。
また生活の道具や食べ物の残骸も発掘されており、
古来からこの場所に生活があったことをも伺える。
今では完全に忘れられた感のあるこの地にも、
かつてはあのような高貴な巫女が暮らしていたのであろうか。
それとも、亡骸の朽ちるのを見守る、墓守の集落でもあったというのか。

ふと周りを見渡すと、私一人になっていた。
父は野草を探しに、母は気持ち悪がって車に戻っていた。
湿った空気が辺りを包み込んでいる。
奥の闇に吸い込まれるように、道は続いている。
それにしてもこの暗さは異常としか思えなかった。
わずかに下りの坂になっている。
ふと、朝に見た女性の遺骨が脳裏をよぎった。
今度こそ本当に帰って来られないような…
坂道に数歩足を踏み入れていた私は、急いで元来た道を引き返した。

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