2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


6月7日

諏訪の両親の所に遊びに行ったとき、自由な時間が出来たので、
以前から気になっていた場所に行ってみた。

18039864_1810730739.jpg


諏訪大社上社本宮と上社前宮を結ぶ御柱街道の間、
山の中腹にポツンと神社があり、麓から果てしなく長い石段が伸びている。
あの石段を見ただけで登る気が失せるので、一人でウロウロ出来る機会に、
一度登ってみたいと思っていたのだ。

なにしろ周りに何もないので一直線の石段が目立つ目立つ。
だが石段の下まで来ると、あらためて石段の長さに嫌気が差した。
私は気力を振り絞って石段を登り始めた。

18039864_565936819.jpg



視界を遮るもののない石段は、思ったよりも気持ち良かった。
石段の左右は草の斜面に時々岩が露出しているだけ。
地元の人のサイトの情報によると、以前までは石段が途中で途切れていたという。
石段を作っている最中に戦争になって以来、そのままになっていたとのこと。
やっと去年、石段が全て完成したのだそうだ。
それまでは、土の急斜面を踏み跡を頼りに登るしかなかったらしい。



18039864_3119206334.jpg



頂上にたどり着くと、目の前に神社があった。

土地がならされてないので、背後の岩塊をくりぬいて、
社を建てるスペースを確保している。
神社の名は「北斗神社」
天御中主命(アメノミナカヌシ)を祀ってる。
北の空に輝く北極星に象徴したこの神は、
神仏習合の時代には、北辰妙見菩薩とされていた。
古代中国で天帝(天皇大帝)と見なされていた北辰(北極星)。
この星宿信仰に仏教思想が流入して、妙見菩薩となった。
妙見とは、優れた視力をもって、善悪や真理をよく見通す者ということ。
が、民間信仰レベルでは、目の病が良くなるように願掛けがされたようだ。

18039864_2961952466.jpg 18039864_2523556049.jpg
18039864_2203622061.jpg


奉納物は、「め」と書かれた絵馬に、縄、小皿。
小皿は、灯明皿と先述のサイトでは説明されていた。
灯りをつけて願掛けにお籠もりをした、という記述があるそうだ。

では縄は一体?
長い間石段が無かったとのことなので、参拝の便宜に縄が使われていたものが、
時代を経て、縄自体が奉納物と機能するようになったのか。
それとも天御中主命の御利益である長寿に掛けて、なが~い縄を奉納したのか。

ふと、以前稲城市で見かけた妙見尊の蛇より神事を思い出した。
妙見尊の藁蛇は、社殿のある山の上から麓まで、
参道にそって延々と藁の蛇を這わすというもの。
疫病落としの藁蛇として信じられているもので、
これは江戸時代(宝暦前後)の疫病大流行に、
多摩川下流域で広がった藁蛇信仰の一つ。
だが私は、藁蛇を疫病落としに使うという伝統は、
このとき偶発的に生まれたのではなく、この土地には元々の下地があったと思っている。
それが、この地域を治めていた武蔵国造の祖である出雲臣。
出雲臣の出身地域に今でも残る「荒神さま信仰」は、
藁で蛇を作るところ、藁蛇をもって集落を練り歩くところ、
藁蛇を鳥居や木に巻き付けて放置するところなど、
ほとんど同じものと言っても過言ではない。


話を元に戻そう。
社の左右の空間(といってもほとんど崖だが…)には、
これまたへばりつくように、石碑が立っている。
下手には、泰一社、三社神社。上手には庚申碑、そして小さなお堂のような建物。

このうち、「泰一社」がちょっと興味をそそる。
「泰一」とは「太一」で、北極星のことを指し、北斗神社と同じ意味合いだ。
そして、右側面には「祭主・物部安貞」
左側面には、「願主・当村 赤羽○○、 高遠 守屋○○」
裏は草に埋もれて見えなかったが、どうやら「文政九年」と刻まれているらしい。

18039864_152879211.jpg


諏訪の赤羽某と高遠の守屋某が、物部安貞氏にお願いして、
泰一社を勧請した、ということだろうか?

「物部安貞」と個人名が特定できるので検索を掛けてみると、
上でも参考にしたサイトしか出てこない。
それによると、この人物は「最後の禰宜太夫の一代前の人」だそうだ。
ただ禰宜太夫が歴代「物部」を名乗っていたわけではないらしい。


太一神を祀る物部氏、となると、思い浮かべるものがある。
出雲大社の資料館で見た、江戸時代の本殿座位置図だ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=877336558&owner_id=40168

斑牛をつれた和加布都怒志(フツヌシは物部氏の祭神)は、
おそらく鎌倉時代に大黒天と習合した「摩多羅神」のことを指す。
「摩多羅神」はいまいち全容が掴めないのだが、
頭巾に北斗七星を載いているくらいだから、北辰と見なされていたのだろう。
安直に、ワカフツヌシ(物部氏)=太一神 と考えると、
出雲の系譜と言われる諏訪大社のお膝元の北斗神社で、
物部氏に連なる人物が太一神を祀った、
と上手く繋がってしまうのだが、どうも何か引っかかる…



諏訪と物部氏との関係は、昔からチラホラとささやかれていて、
その噂の発生源となるのが、守屋山の登山口にある「物部守屋神社」。
これは、次の日記で紹介しようと思う。

















管理者にだけ表示を許可する


Design by mi104c.
Copyright © 2017 風と土の記録, All rights reserved.




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。