2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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9月23日

雨続きの連休中は諏訪に行っていた。
秋分の日、幸いにも雨はあがり、文字通り秋晴れ。
この日、諏訪大社下社で流鏑馬奉納が執り行われた。

行事の大まかな流れは以下の通り。

午前十時   下社秋宮にて正式参拝
午前中    諏訪湖畔にて凧揚げ奉納
午前十一時  清興太鼓・長持ち・木遣り
  十一時半 剣道奉納演武
午後一時半  流鏑馬-馬上武芸奉納

この流鏑馬は今年で4回目。
流鏑馬の始祖ともされる、下社大祝・金刺盛澄公を讃えるため、
倭式弓馬会によって奉納されたのがことの起こり。
金刺盛澄とは、12世紀後半の諏訪武士団の統領で、
下社大祝を勤めた人物。
幼少時の木曽義仲を匿い、義仲の庇護者として平家討伐軍に加わった。
義仲の死後、盛澄は鎌倉に召還されたが、
京都城南寺の流鏑馬に参加していた為遅参。
そのために源頼朝の怒りを買い処刑されるところを、
「世に比類ない弓馬の達人を失うのは惜しい」と、
梶原景時の計らいによって、流鏑馬の腕前を披露することになった。
鎌倉一の暴れ馬の馬上から、小さな土器一つ逃さす矢を的中させた妙技に、
頼朝は「とても人間業とは思えぬ。神に仕える者と聞く、神の加護があってこそ」
と感心し、諏訪に戻ることを許されたという。

その盛澄公のお膝元で行われる流鏑馬祭も、
残念ながら、今年で最後だとの噂がチラホラと流れているので、
どうしてもこの機会に見ておきたかったのだ。


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9時頃上諏訪の家を出て、流鏑馬会場になる赤砂崎を偵察。
チラホラと参加者が集まって来ていたが、
まだ始まる気配が無いので先に秋宮に参ることにした。
個人的な信仰心と、秋宮横の「新鶴の塩羊羹」が目当てだったのだが、
いざ秋宮に参ってみると、ちょうど流鏑馬関係者の正式参拝が行われていた。
まさか公に見学できるとは思っていなかったので、幸運だった。

参拝と買い物を済ませ、再び赤砂崎に戻る。
途中、最近お気に入りの「菱友醸造の御湖鶴」を求めに蔵元へ立ち寄ったが、
下諏訪の街は一方通行の道が入り組んでいて、ずいぶん時間を食ってしまった。

それでもなんとか赤砂崎に戻ると、特設駐車場は半分以上埋まっていて、
会場は凧揚げ奉納で盛り上がっていた。
流鏑馬の撮影ポイントを探して歩くと、絶好の場所はすでに三脚が並んでいて、
そうでない場所は、前日までの雨で地面がぬかるんでいる有様。
こういう時は下駄があると便利なのだが、さすがにこの日は用意していなかった。
今後は車に積みっぱなしにしておこう。

そうこうしているうちに、諏訪神太鼓の奉納が始まり、
長持ちや御輿の行列、木遣りの披露と続いた。
そして中央の舞台では、鹿島神傳直心影流に、
戸山流居合と抜刀術の奉納演武。
特に真剣による俵切りに時間を割いていて、
次々とスパスパ切っていくさまは見ていて爽快だった。

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奉納演武が終わり、しばらく休憩時間。
会場には「おぎのやの峠の釜飯」の売店が出ていて、懐かしさのあまり購入。
観覧席のブルーシートに陣取って昼食。
昔はどこの家でも、峠の釜飯の陶器の器がひとつやふたつ転がっていたものだ。


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さて、昼食も終えのんびりしていると、神官達が会場にやって来た。
馬に乗って馬場に現れた神官達が会場を清める神事やらを執り行った後、
倭式騎馬會の武装した5人が馬にまたがり、お披露目の行列。
5人の武者たちはそれぞれ格好が違って興味深かった。



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馬場の端から、3人の巫女が馬にまたがり往復。
そのうち一人が、馬上巫女舞いとして、往路は鈴を鳴らしながら駆け、
復路は金の扇を片手に、全速力で駆けていく。
荒くれ武者の騎乗姿も良いが、華やかな巫女の馬上姿もまた萌える。
湖面をそよぐ秋風のように、爽やかに清らかに駆け抜けていった。


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2町(約218m)の馬場の左脇3ヶ所に葦簀が立ててあり、
その前に的が用意された。馬場の中心から的までは約5m。
この的を、馬で駆け抜けながら連続で打ち抜くのだ。
スタート位置で神官が朱色の扇を大きく振る。
準備完了の合図だ。
扇が閉じられ、馬上の武者が駆け出した!

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一番手は赤糸威の大将鎧を纏った武者。
今回特別に用意した、諏訪由来のものだそうだ。
第一走は鎧の重さでバランスを崩し、弓を構えるまでには至らなかった。
一瞬振り落とされるかと思ったほどだったが、何とか持ち直して駆け抜けた。
一度慣らして駆けた後、再び気合いを入れて駆けだした。
バンッ!と大きな音がして、見事的中。
私は一の的の前に陣取っていたので他の的までは見えなかったが、
アナウンスによると2つの的に的中させたようだ。

流鏑馬はこのようにして、第五走者までを1セットとして、
合計3セット行われた。



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2番手、粕毛の道産子「日乃丸」に跨る黒糸威の具足の武者。
あっという間に駆け抜けていった。



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3番手、白馬の道産子「白星」に跨り、直垂に赤糸威の前掛具足をつけた軽装で、
一射目から的確に射抜いていった。



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4番手、立烏帽子に華やかな萌葱色の具足。
馬上で矢をつがえるところを捉えた。


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5番手、木曽駒「雅」に跨る射手装束の老武者。
馬の速度を適度に抑えて的確に射抜いていく熟練の技で魅せてくれた。



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5人が3度、合計15回の流鏑馬が終わった。
一同が馬場を練り歩くと、会場全体から一斉に拍手の嵐。
流鏑馬奉納を成し遂げた、安堵と充実の表情が誇らしかった。


一段落つき、せっかちな観客が退出した後に、
馬上武芸の奉納が始まった。
先の5人の武者が馬上槍、馬上剣術などを披露してくれた。

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馬上槍、剣術あたりまではゆっくりとした足取りで、
特に剣術では馬がヘソを曲げたか、ゆっくりとした足取りだった。
馬場右脇の俵切りは成功するも、反転して左の俵切りとなると、
どうも言うことを聞いてくれないようだ。
流鏑馬が終わってゆるいムードになっていたので、こちらものんびりと眺めていたが、
「ィヤァァァァァァァァーーーーー!!!」という突然の雄叫びと共に、剣を縦に構えて馬場を駆けだした。
そのまま目の前を駆け抜けていく姿に、見ている方も興奮。
他の馬まで興奮したのか、次の武芸では柵を跳び越え、会場を暴走する始末。
何も知らずに湖岸を走っていたランナーは相当焦ったのでは無かろうか。
最後は神官が手綱に飛びつき制し、やっと事態は収束した。


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そんな波乱に満ちた流鏑馬祭も無事終了。
最後に、実際に射抜かれた的をお守りとして販売していたので、ひとつ求めた。
「射」と「写」、字は違えども同じ「シャ」に関わる生業。
私も的確に真を射抜けるように、日々精進したいところである。



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