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2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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日光と言えば日光東照宮。

首都圏で育った人は、修学旅行で必ず行く場所だそうだけど、
関西で育った私にはあまり馴染みのない場所だった。
数年前、東北からの帰りに立ち寄ったことがあったが、
人の多さにゲンナリした覚えがある。

私にとっては日光東照宮を含む二社一寺は、その程度の認識だった。
一昨年、曾祖父の出自を知るまでは…


曾祖父は、祖母が幼い頃に亡くなってしまい、
詳しいことはほとんど伝わっていなかった。
僧だったこと。関東で修行し、鳥取を経て愛媛にやって来たこと。
どこかの寺の歴代住職の墓に入っていること。
それしか情報が無かったが、父の記憶を頼りにそのお寺を訪ねたところ、
山の上の奥の院に墓所があることが判明したのだ。

その時までほったらかしていたのもひどい話だったが、
久々に父の故郷に帰ったその時に、思い立って探したのが良かった。
そうでないと、そのまま永久に忘れ去られるかもしれなかったのだ。

その墓標に、「静然大僧都」「大正11年没」「日光輪王寺彦坂大僧正徒分」
と刻まれていたので、曾祖父が日光で修行したことが分かったのだ。
関東で修行した人、という祖母の記憶とも一致している。

そして、曾祖父の足跡を巡る旅が始まったのだ。


…と思ったが、そのまま約一年半、放置してしまった。

そうこうしているうちに、祖母が骨折して入院してしまった。
幸い命に関わる怪我ではないが、年齢も年齢なので心配だ。
思い立って、曾祖父の育った日光へ、回復祈願に参ることにした。

これが、今回の日光への旅の真の目的だったのだ。




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二社一寺と先述したとおり、日光は
「日光東照宮・日光山輪王寺・ 日光二荒山神社」で構成されている。
これは、明治政府の神仏分離令によって神社と寺院が明確に分けられたからで、
それ以前は、全てひっくるめて「日光三所権現」と称し、
神仏習合の山岳信仰が行われていた。

東照宮は衆知の通り、徳川家康が亡くなった後に建立された神社で、
元和3年(1617年)に社殿が完成したのに対して、
二荒山神社、輪王寺は奈良時代にまで遡るようだ。
輪王寺は以前の日記でも紹介した日光山中禅寺と同じく、
勝道上人の開創と言われている。



東照宮関係の建物は相変わらず混み合ったいたので、
お参りだけをササッと済ませた。
本殿は改装中で、ちょうど御神前の床下を組み上げていた。
宮大工の仕事を目の前で見るという面白い体験が出来たが、
人混みに飲み込まれる前に退散した。


で、肝心の輪王寺である。
輪王寺といっても、先に述べた日光三所権現時代の名残で、
日光山中に関係する寺院が点在している。

この日訪れたのは東照宮に隣接する、輪王寺の本堂・三仏堂。
日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という
高さ8.5mもある金色の大仏三体と、
東照三社権現本地仏(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏の、
2組の三尊仏がご本尊として祀られている。
祖母の回復を祈願。


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さて、ここを訪れたもう一つの理由は、この三仏堂の脇にある「金剛桜」が、
曾祖父の師である「彦坂大僧正」に由来する木なのだというからだ。
彦坂大僧正に関する情報が、この桜の木しか分からなかったので、
とりあえずやって来た。

桜の根本の由来書きにはこうある。

「黄芽、白花大輪の山桜で花香が強く、樹齢は約500年。
 地際より数本の支幹に分かれ、特異の樹形をなし、
 その基部の周囲は約5.7mに及ぶ。繖房状に3~4花を着け、
 花茎は約3.8?で、極めて大輪。

 花弁は円形で長さ約1.7?。巾は約1.6?で、花弁の縁は重なりあっている。
 明治年間、当寺門跡厚大僧正が移植せられたもので、
 大僧正の諡号、金剛心院に因んで命名されたもの。

 昭和11年5月10日三好理学博士の調査により、山桜の勝れた突然変異種に属し、
 加うるに樹形の著しきにより名木として指定を受く。」


これだけでは埒があかないので、寺務所を尋ねてみた。
寺務所の応接間に通され、色々と話を伺った。

この厚大僧正というのが、曾祖父の墓標に刻まれていた彦坂大僧正だそうで、
つまり、俗姓が彦坂氏だったのだ。
出家のことはよく分からないが、俗名を捨てるとはいえ、姓は記録に残るらしい。

寺務所ではさすがに曾祖父のことまでは分からなかったが、
師である厚大僧正は、すごい偉大な人だということが分かった。
どうも輪王寺の門跡再興の祖らしい。

輪王寺の歴史をザッと書いてみる。
輪王寺はもともと、「満願寺」だったが、明暦元年に後水尾上皇の院宣により
「輪王寺」の寺号が下賜され、それ以来代々、法親王(出家した皇族)が住持を務め、
「輪王寺門跡」あるいは「輪王寺宮」と称された。

ところが戊辰戦争中、当時の門跡を彰義隊が担ぎ出し、
京の天皇に対抗して、「東武天皇」として即位させた。
が、上野戦争に巻き込まれ、東北に逃亡するものの、降参。
蟄居の後還俗、これが北白川宮能久親王を名乗った。

この一連の戦いの影響か、明治新政府の神仏分離令で、
「輪王寺」の称号は没収され、もとの「満願寺」に戻る。
この時に門跡号も途絶えたのだろう。
そして明治15年、内務卿の許可を得て厚大僧正は正住職になり、
翌年、門跡号を復興して「輪王寺」を再興したのだ。



先に述べた金剛桜は、神仏分離令によって移転した三仏堂の景観を整えようと、
厚大僧正が他所から移植してきたもの。
当時すでに樹齢400年を越える老木だったのを、
大僧正は毎日この樹の下に来てはお経を唱え、養生した。
その甲斐あってか、新たな根も生え、
これまで以上に繁茂するようになったのだという。


結局、曾祖父のことはよく分からなかったが、
修業時代、きっとこの桜の樹の世話などもしていたのだろう。
こうして、立派に紅葉している老樹を目の当たりにすることで、
曾祖父に少しでも触れることが出来たような気がして、嬉しかった。

















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