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謂伊神社へやって来た目的は、
「謂伊神社境内遺跡」、
通称「天白磐座遺跡」を訪れる為である。

謂伊神社の裏にある薬師山(標高41m)の頂上に位置し、
約40m四方に渡って群在する巨石群。
平成元年の発掘調査によって、
古墳時代前期から平安時代に至る長期間、
連綿と続いた祭祀場であったことが証明された、
日本屈指の規模を持つ古代祭祀場である。

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謂伊神社下手脇から薬師山に分け入ると、
早速大きな岩に遭遇。
これはかなり期待できる。

薬師山はなだらかな山なので、山頂に向かって真っ直ぐ進む。
もともと小さな山のこと、道を間違えることもない。
何しろ頂上にあるものがあまりにも大きすぎて、
迷いようがないのだ。

時計はもう既に夕刻を指していた。
薬師山を覆い包む背の高い樹木の為に、
山全体が薄暗い印象を受けるのだが、
木々のすき間から降り注ぐやわらかな光の束が
頂上の岩を静かに浮き上がらせている。
静謐な緊張感の中で私は磐座と対峙した。

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大きな岩が3つ、それぞれの岩を線で結ぶと、
三角形の空間が出来上がる。
古代の人々は、この空間に神が降臨すると考え、
祭壇として祀ったのである。
そう断言できるのは、発掘調査の出土物によって、
時間軸で祭祀形態の変化が分かるからだ。

この三角形の空間から出土されるのは、
縄文土器、弥生土器、時代が飛んで鎌倉時代の経塚関係遺物、
江戸時代の古銭類。
このうち縄文~弥生時代の土器片は、
祭祀とは関係ない可能性が指摘されている。
そして磐座が祭壇として機能したとされている古墳時代の遺物が、
この空間から一切出ていないことが重要で、
古墳時代の祭祀関係遺物は一番大きな岩の側、
上の写真でいうと下手の大きな岩の下手側の地中から出土しており、
このことは、三角の空間は神の降臨する聖域として、
その手前の岩陰で祭祀を行ったことを物語っている。

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今ではその場所では大きな木が岩と同化していて、
長い長い歴史をその造形に感じとることが出来る。


時を経て仏教文化華やかなるころは、
磐座は本来の意味を失い、経塚として機能したようだ。
鎌倉時代の渥美窯製の経筒外容器が
三角の空間から出土している。

江戸期には、民間信仰の中で磐座は生き続けていたのだろう。
硬貨をお供えする心理は、現在の民間信仰に通じるものがある。

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そして現在、学問研究のおかげで本来の意味を取り戻した磐座は、
貴重な遺跡として考古学ファンの聖地となっている。
祭祀の有無は分からないが、注連縄が張られ岩の上には祠があった。


さて、この磐座は何を祀っていたかというと、
その名の通り、引佐北方にある天白山かと思っていたのだが、
氏子総代に聞くと、どうも違ったようだ。
天白は、ここの地名である井伊谷小字天白に
由来しているのだろう。
今は木々に隠れて見えないが、
磐座から北東の方向に位置する三岳山を祀っているそうだ。
三岳山の名の通り、3つの山が連なっていて、
そのような山が古代の信仰対象になっていたということを
全国の遺跡を調べて回った井上香都羅氏が唱えている。
また氏によると、そのいわゆる神山信仰の対象は祖霊である。
お盆などに祖霊が山から戻って来る観念は、
日本人には受け入れやすいものだと思うが、
まさにその原点なのではないだろうか。


彼岸花の咲く秋の夕暮れ、この地の遙か昔の民の、
素朴な祈りに想い巡らすひとときであった。

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