2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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大間から仏ヶ浦に海岸沿いを南下していると、途中妙に赤い海岸があった。
気になったので車を停めた。

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浅瀬に岩を転がして、人工的な磯を作り出しているのは、
投石によるフノリの養殖。
人工的な磯を作り出すことで、布海苔を定着させる場所を作り出しているのだ。
前日漁火を見た風間浦が発祥で、そこから全国に広がった方法だという。

浦に突き出した岡が気になるので行ってみると、塩釜神社跡だった。
そこで菅江真澄の名を見つけて驚いた。
「菅江真澄」は江戸時代後期の旅行家で、
訪れた土地の詳細な絵日記を残している。
いわば民俗学者のさきがけであり、私の憧れの人でもある。
三河生まれで信濃、出羽と旅して歩いたが、
まさか下北半島の奥座敷にまで足跡が及んでいるとは思わなかった。

 寛政四年十月六日、真澄は松前から船で奥戸(大間)の湊に上陸、
 翌日、佐井に向かう途中「赤石」を過ぎたあたりで山陰に馬が多く、
 「この場所も牧なのですか」と真澄は聞く。そうではなく「冬飼い」といい、
 この辺りでは冬場放し飼いが行われ雪の中の草木を食し、
 無くなれば磯に寄せる海藻類を食しているのだという。 
 海にのぞんだ岡の小さい神の祠を目にし、
 この土地の真澄はこの土地の老人にこの由来を聞き、この社に詣でている。

岡の前に立てられた一本柱の案内文にはそう書いてあった。
神社の由来は書かれていないが…
この土地が「赤石」、寒立馬がいた、ことが分かった。
どうも真澄は下北半島の旅の先々で、牧を訪れているようだ。
後撰和歌集にも詠まれる「尾駮の駒」に関心があったらしい。

寒立馬は、現在では下北半島の太平洋側の突端、尻屋崎でのみ行われているようだが、
かつては至る所で行われていたようだ。
寒風に耐えた馬は強靭な肉体を備える。
残念ながら現在の寒立馬は、その俊敏な能力を発揮することもなく、食用となる。



赤石からさらに南下していくと、奇妙な景観にぶつかったので、また車を停めた。

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「願掛岩」というらしい。
なんと、ここにも菅江真澄の足跡があった。
真澄は寛政五年春、ここ佐井村にとどまり、
三上 温・自性院・坂井家などの人々と親交を結んだようだ。
これらの人々のことは、蝦夷が島(北海道)で聞き及んだらしい。
奥戸から田名部(むつ)へ向かう前に、わざわざ反対方向の佐井を訪れさせた。
それほどの人たちがこの辺りに住んでいたことになる。
船が交通の要だった時代、下北半島は交通の要衝だった。
ことに佐井湊は、南部の宝庫と呼ばれたヒノキ材の搬出港で、
近畿や北陸の豪商たちも進出してきていたという。
さまざまな地域と結ばれ、それだけ文化水準も高かったのだろう。

 磯谷の村を行くと、矢越(願掛岩のある地名)のこちらに雌矢越石・雄箭越石という
 その高さ百尋もあろう巌が立っている。小さな祠がふたつあるのは、誉田の神と、
 矢船豊受媛(稲荷社)を祀っているらしい。二の鳥居に木の枝を鍵の形に打ち掛けるのは、
 懇想する者が願いを掛けたのである。
 それで、この岩を「神掛」と言い、「鍵掛」とも書いたらしい。
 

願掛岩の、岩と岩の間に立つと沖合いに小島が見える。

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その小島に向かうように、金網が立てられ、そこに数多の鍵が掛けられていた。
こういった「恋人たち向け」の信仰はどこの海岸でも見られるが、
まさか江戸時代から続く民間信仰の類だったとは思ってもいなかった。


それぞれの断崖に参道が続いている。
そういうことならば、登らないわけにはいかない。

まずは海に向かって右手の、女願掛から。

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鳥居をくぐると、いきなり急傾斜。
道はあってないようなものだ。
岩肌をしばらく登っていると、海岸特有の背の低い木立の中に入っていく。

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ひぃひぃ言いながら登っていくと、巨石を祀る祠に行き当たった。
正面から見ると大きな岩だが、裏に回れば幅が1mもない、薄い岩だった。

さらにけもの道は続いている。

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ほとんど岩をよじ登るようにして、行き着くところまで行ってみた。
木立が途切れ、急に視界が広がった。

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私はバカの例に漏れず高いところが大好きなのだが、
さすがにここでは足がすくんだ。
少し強い風が吹けば、、、突然岩が崩れたら、、、
大海原へ一直線である。


さて、次なるは男願掛。
こちらも非常に登りたくなる様相をしている。

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男願掛は登る人も多いらしく、一応遊歩道の体裁を整えていた。
途中、色々な不思議きのこを見かけたが、きのこには詳しくはないのでよくわからなかった。
遊歩道の先には小さなお堂風の神社があった。
願掛岩の頂上に「海を守る天狗様」の社があるとのことだが、ここのことだろうか。
それとも女願掛の頂上の岩と祠のことだろうか。
菅江真澄の記録には、誉田神と矢船豊受媛の祠があり、
矢越八幡神社は今でも麓に鎮座している。
ちなみに、佐井の街中には箭根森八幡宮という源頼義が勧請した八幡宮があり、
陸奥守・源頼義の東征がこの地にまで及んでいたことになっている。。。


道は険しくなるが、さらに続き、大きな岩の下に出た。
この岩が御神体なのだろう。

岩には、わずかに人の登ったような跡があった。
それを見ると、登らないわけにはいかないだろう。
なので、登ってみた。

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切り立った岩の頂上。突端まで出てみると、はるか遠くの海まで見渡せて清清しい。
津軽海峡から佐井湊に入ってくる船は、この岩を目的にしたのだろう。
また、ここに立って船を誘導したのかもしれない。

頂上で石笛を吹いたりして、気持ち良い一時を過ごした。

















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