12月19日
法要で諏訪入り。
18日の夜に高速で諏訪入りしたところ、
途中富士見を越えた辺りから吹雪。
諏訪南インター辺りでチェーン規制の検問があった。
幸いスタッドレスタイヤに履き替えていたので大丈夫だったが、
チェーンやスタッドレスタイヤでない人は、諏訪南ICで降りろとのこと。
雪対策をしてない人が諏訪南で降ろされたら、
甲州街道を諏訪側に降りて行くしかない。
高速より危なそうなのだが…
19日は一日空いていたので、午前中から探索。
まずは諏訪大社。

境内は見事に雪一色だった。
参拝を済ませ、諏訪湖沿いに北へ。
辰野町を目指す。
岡谷から、諏訪湖唯一の流出口である釜口水門を経て、天竜川へ。
かつて、出雲から来たとされる建御名方命と、
洩矢神を祀る先住民族が戦ったとされるあたりだ。

*参考 洩矢神社 (以前撮影したもの)
天竜川に沿った岡谷街道を南下、辰野に至り、三州街道を少し北上。
上伊那郡と塩尻市(旧東筑摩郡)の境界に、小野神社が鎮座している。
(正確には小野の集落を分断して境界線が引かれている)
松本平野と伊那路、諏訪湖を見渡す霧訪山の麓に位置し、
古来から交通の要衝でもある。


雪に埋もれた駐車場に車を突っ込み、境内に入ってみた。
不思議な境内だった。
同じ境内に、別々の二社が並んでいる。
向かって左(南)が矢彦神社、右(北)が小野神社だ。
共に信濃国二之宮である。
祭神は、小野神社が建御名方命
矢彦神社は、正殿 :大己貴命 ・事代主命
副殿 :建御名方命・八坂刀賣命
南殿 :天香語山命・熟穂屋姫命
北殿 :神倭磐余彦天皇・誉田別天皇
明治宮:明治天皇
大己貴命・事代主命は建御名方命の父と兄、八坂刀賣命は妻、
南殿の天香語山命・熟穂屋姫命は越後の弥彦神社の主祭神で、
矢彦神社の由来となった祭神だろう。(矢と弥の違いがあるが。)
神武・応神天皇は武人の崇敬が篤かった神、
明治天皇は明治13年に行幸があったからだろうか。
なぜ建御名方命に全く縁のない南殿の祭神が、
この地に祀られているかがいささか不可解。
小野・矢彦両神社は、それぞれ上伊那郡と旧東筑摩郡の鎮守で、
境内自体は今は塩尻市にあるというのに、
矢彦神社の境内分だけ上伊那郡に属しているという。
さすがにこれはややこしいので、行政的には
「両小野」という特別措置をとっているとか。
もっとややこしい…
諏訪の神社に付き物の「御柱」もあり、
これは両社それぞれ立てている。
従って、境内に8本立っていることになる。

両神社のちょうど真ん中に藤池と呼ばれる御手洗池があり、
その手前に「御鉾様(おぼこさま)」と呼ばれる磐座がある。


御鉾様
なんと、御鉾様は方形で中央に小さい穴が空いているというのだが、
雪に埋もれて何がなんだかさっぱりだ。
この穴に、鐸鉾(さなぎほこ)という神宝を立て依り代にし、
祭祀を行っていたのではないか、と考えられている。
宝物館長の話では、まず霧訪山を祀る御鉾様信仰があり、
その両脇に矢彦、小野神社が出来たんではないか?とのことだ。
鐸鉾は神代鉾とも呼ばれていて、鉾に十二個の鉄鐸が掛けられたもの。
七年ごとの御柱祭のたびに麻緒を巻き付ける風習があり、
古くに巻き付けたものなどは、時が経ちすぎてボロボロになっている。
いつのころから行われているのかも分からないそうだ。

鐸鉾は諏訪大社に伝わる「サナギ鈴」と同形状。
ちなみに霧訪山では、干ばつのときは銅鐘を山の上から落とす、
という雨乞いの風習があったそうで、
これは神体山守屋山頂の祠を蹴り落とす諏訪の雨乞いと共通している。