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2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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1月2日

大晦日に降り積もった雪がある程度溶けたので、飯田を訪れてみた。
目指すは阿智村昼神温泉。
東山道の信濃の玄関口である。

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国境の神坂峠は古くは信濃坂と呼ばれ、
『今昔物語集』藤原陳忠の逸話で有名だ。

今昔物語集 巻28
「信濃守藤原陳忠落入御坂語 第三十八」

信濃守の任期を終え京へ帰還する陳忠は、
信濃・美濃国境の神坂峠を過ぎるとき、
乗っている馬が橋を踏み外し、馬ごと深い谷へ転落した。
随行者たちが谷を見下ろすと、とても生存しているようには思われなかった。
しかし、谷底から陳忠の「かごに縄をつけて降ろせ」との声が聞こえ、
かごを降ろし、引き上げてみるとかごには陳忠ではなく
ヒラタケが満載されていた。再度かごを降ろし、
引き上げると今度こそ陳忠がかごに乗っていたが、
片手に一杯のヒラタケを掴んでいる。随行者たちが安心し、
かつ呆れていると、陳忠は「転落途中に木に引っかかってみれば、
すぐそばにヒラタケがたくさん生えているではないか。
宝の山に入って手ぶらで出てくるのは悔やみきれない。
『受領は倒るるところに土をつかめ』と言うではないか。」と言い放った。

その阿智村に何の用があるかといえば、
ここは全国でも珍しい、八意思兼神を祀っている阿智神社が鎮座しているのだ。
八意思兼命は天岩戸開きに関わった有名な神であるにも関わらず、
阿智神社、戸隠神社、秩父神社、と祀られている神社は数少ない。

さすがに諏訪からでも遠いので、高速をつかう。
飯田で降りて、昼神温泉に至り、温泉街を通っていると、
なんと、阿智神社を通り越してしまった。
温泉街の真っただ中に鎮座していたのだ。

一本道でどうにも引き返しにくいので、そのまま奥宮に向かった。

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黒川と本谷川の合流点に突き出した岬状の小山に鎮座し、
地元では「山王さん」と呼ばれているそうだ。
別名を河合陵(かわいのみささぎ)。
奥宮と聞いて雪山の中を歩くことを想像して行ってみたが、
そこは旧中山道に面した場所で、容易に車で乗り入れることが出来た。

鳥居を潜ると目の前の高台の上に、玉垣に囲まれた磐座が見えた。
風に吹かれた木立から雪がはらはらと舞い落ち、光にきらめいた。
その高台に沿うように、石段を上っていく。

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正月だというのに、まったく人の訪れた気配がない。
社殿の正面から近づく。どうやら石舞台のようだ。
まっさらの雪の上に足跡を付けて歩くのが、
なんだか申し訳ない気分になった。
この舞台は降臨祭で吾道女舞(あちめのまい)奉納が行われる、
ということを後で知った。

社殿の右手に、先ほど見えた磐座への石段が続いていた。

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大きな木の側に、上部が平らな巨石がある。
雪で埋まって見えないが、資料によると中央に窪みがあり、
4つの角はそれぞれ東西南北に対応している。
この磐座こそが、河合陵の名の由来となった磐座であり、
八意思兼命と天表春命(アメノウワハル)の墓所だと伝わっている。

八意思兼命はその子、天手力男命と天表春命を引き連れ、
孝元天皇五年春正月、この地に降り立ったとされている。
その後、天手力男命は戸隠へ遷り、
天表春命はこの地に留まり阿智祝部の祖となった。
上古信濃国開拓の三大古族は、阿智氏、安曇氏、諏訪氏と言われているが、
この阿智氏の本貫地がここ阿智村なのである。

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磐座の上には竹炭が意味ありげな形に置かれていた。
平たい竹炭が三角形、それに細い竹炭が十字に寄りかかるように重なっていた。
意味は分からないが、明らかに人為的なものだ。
動かしてはいけない気がしたので、触らないようにしておいた。

















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