2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


5月22日

ひょんなことから、琵琶湖の竹生島に行くことになった。
友人から誘われていたものの、行かないつもりでいたのだが、
どういうわけか急に参加したくなった。

集団行動なので交通の都合も考え夜行バスで現地入り。
行程も現地の移動も完全にお任せ。
私にとっては久々の、完全に人任せの旅だ。

前日夜22:00発の新宿発京都行きの夜行バスを予約。
チケットの手配が後手に回ってしまったので長浜行きのバスは満席、
京都入りしてから長浜まで鉄道を使うことにした。
京都までのチケットはなんと5千円もしなかった。
夜行バスは大学に入ったばかりの頃に、実家の大阪行きを使っていたが、
(しばらくしたら18切符の鈍行旅に切り替えた)
当時とは比較にならないくらい安くなっている。
その上バスの乗り心地も快適になっていた。

新宿出発は30分ほど遅れたものの、京都へは予定通り6:00着。
集合時間は長浜に9時。3時間ある。
長浜は琵琶湖の北部、どうせ電車に揺られるなら、
町中を走る東海道本線よりも、湖岸を走る湖西線に乗り琵琶湖を眺めたい。
と思ったが、時刻表を見ると湖西線はあまりにも連絡が悪く、
集合時間に間に合わないことが判明。
素直に東海道本線で長浜に直行し、
長浜城跡の公園で湖を見ながらおにぎりを食べた。

9:00集合。
友人Oさんとその友人たち、総勢8名。
そして竹生島フェリー乗り場では友人のYさんと合流。
フェリーに乗り込み約30分で竹生島だ。

田舎が四国だけあって、小さいな頃からフェリーには乗っている。
デッキで風を受けるのが好きで、この日もそうした。
湖上を進むとそこは海としか思えない景色が広がっていたが、
風が潮を含んでいない分、さわやかだ。

あっという間に竹生島が見えて来た。
施設は南部に集中しており、フェリーは南東から島に近づく。
湖に突き出した龍神拝所の鳥居が我々を迎えてくれた。

web_100522-105247.jpg


竹生島は神の住む島といわれ、古くからの信仰の島。
「宝厳寺(竹生島観音)」と「都久夫須麻神社(竹生島神社)」が鎮座している。
都久夫須麻神社はかつての竹生島弁才天社で、宝厳寺と一体化していた。
神仏分離令以降は弁才天を宝厳寺に託し、都久夫須麻神社と改称。
現在の祭神は 市杵島比売命(弁財天)、宇賀福神、浅井比売命、龍神。

フェリー乗り場から土産物屋の並んでいる参道。
ちなみに、帰りに土産物屋内の食堂でおにぎりと鮒寿司を食べた。
鮒寿司はずっと食べてみたいと思っていたので、やっと念願が叶った。
店主のお手製の鮒寿司。ただの土産物屋と侮ってはいけない。
さすがは毎日湖の上で暮らしている人物の味付け。絶品だった。

入島管理所から急な石段が続く。
ただでさえ登りづらい石段なのに、上から下まで参拝者の行列。
この五月は竹生島観音の御開帳でもあったので、島中参拝者だらけだ。
本尊千手千眼観音の御開帳は本来60年に一度だが、
『「覚醒観世音菩薩蕪悲の心」-西国三十三所結縁御開脹-』という催しで、
西国第三十番札所でもある宝厳寺も御開帳しているのだ。

石段の頂上は本堂・弁天堂。
弁才天は観音信仰による御開帳とは関係がないので、
通例の60年周期の御開帳。次は2037年とのこと。
何も見られないのかと思いきや、拝所の左右に御前立像という、
弁才天像の分身が控えていた。

web_100522-111044.jpg web_100522-110900.jpg


左が永禄8年(1565)浅井久政奉納、右は慶長10年(1605)奉納のもの。

これら御前立像は、かつて本尊だったもの。
室町時代から続く「蓮華会行事」の毎開催ごとに、
新しい弁才天像奉納する習わしがあった。
宝物殿には、浅井久政の母が永禄九年(1566)に奉納したものがあり、
現存する最古の竹生島弁才天像だという。

web_100522-114919.jpg


本堂から北方向に石段を下りると、宝厳寺観音堂。
建物は桃山時代の唐門で、国宝に指定されている。
玄関から入ると、回廊を反時計回りで仏間の入り口に周る。
そこに行列が出来ており、その列に並んで参拝。
あまりのんびりと拝む時間はなかった。

行列の出来ていた場所は、神社に続く渡り廊下で、
太閤の戦艦の舟櫓から移築した「舟廊下」として、重文に指定されている。
舟廊下は長い柱で支える懸造になっており、
格子窓から覗く景色は宙に浮いているようだ。
観音堂と弁才天社を舟で繋げる意図でこのような構造にしたのだろうか。

web_100522-115237.jpg web_100522-125846.jpg


(後半へ)

















管理者にだけ表示を許可する


Design by mi104c.
Copyright © 2017 風と土の記録, All rights reserved.




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。