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キトラ古墳の壁画公開は飛鳥資料館の中で行われていた。
飛鳥資料館の敷地に入ってみると、不思議な光景に目を丸くした。

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なんだろう、この立石と周囲の行灯の配置。
飛鳥時代の祭祀を再現したようだが、
それよりもっと古い、縄文時代を感じさせる。
周囲ではバンド演奏の準備をしていて、
これからイベントが行われることが予想された。

この立石は「須弥山石」と呼ばれるもので、
明治35年に石神集落の田んぼの中から発掘されている。
日本書紀に、斉明天皇が外国からの使者を迎えて須弥山石のもとで饗宴した、
との記述があり、飛鳥の石像群の中で唯一文献に残っているものだという。
発掘されたものは三段だが、表面の模様や内部の穴の配置が合わないため、
本来は四段だったと考えられている。(飛鳥資料館のものは再現されたもの)
内部の穴に水を通すことで噴水になる。
いわば分離運搬できるポータブル噴水。
饗宴など重要な場面で、庭の中心に「須弥山」を立て、
三千大千世界(仏教的宇宙)を再現したのだろう。
須弥山には甘露の雨が降っており、
これにより須弥山の住人たちは空腹を満たされる。
噴水は甘露の雨を再現したものだろう。

しかし、、、
須弥山石を中央において、三千大千世界を作ってしまう、
つまり斎場の中央に石を立てて祭りを行う、
この発想は立石崇拝やストーンサークルの思想により近い気がする。
斉明天皇は土着の立石信仰に、
当時の正先端科学である須弥山思想を重ねあわせて、
このような饗宴の場を設けたのではないだろうか。
なお、斉明天皇は巨大土木工事マニアで、
巨大な堀を掘ったり巨石運んできて公園を作ったりとやりたい放題、
蘇我赤兄に斉明天皇の失政として批判されている。

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飛鳥資料館の庭には、他にも飛鳥の謎の石造物のレプリカが集められている。
写真は亀石、猿石、噴水石人像。
一言で言えば、不気味だ。

いずれも教科書レベルの有名な石だけど、
こうして改めて見てみると、王朝文化の最前線に疑問を感じる。
どういうわけでこうなったのか。
どちらかというと縄文文化の発展形のような造形。
もしかしたら飛鳥という土地は、
新旧入り交じった混沌の中にあったのだろうか?


さて、肝心のキトラ古墳。
古墳自体の公開かと思っていたが、壁画だけの公開だった。
四神の青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれていることで貴重な古墳だが、
漆喰に描かれた壁画にカビが発生したことにより、
石室から切り離しての修復作業が行われていたもの。

案外壁画は小さく、しかも実物は不明瞭な部分も多く、
期待しすぎるとがっかりするかもしれない。
ただ、このような緻密な絵画が飛鳥時代から時を経て今に残っていることは
考古学的にはものすごく貴重な遺物である。
個人的には、四神の他に天体図の壁画と、
各方角に対応した色で描かれた半人半獣の十二支像が興味深かった。

















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