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2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
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6月11日

遠野入りして一日目。
早朝、遠野から少し離れた場所にある伊豆神社へ行ってみた。
伊豆神社は有名なので名前は知っていたが、実際に訪れるのは初めて。
遠野の街を離れ、山に囲まれた県道238号を南下。
風景はどんどん寂れていく。
やっと小さな集落が見えた。そこが来内(らいない)集落。
アイヌ語で「死の谷」と解釈されている。
そんなことを思っていたら伊豆神社を通りすぎた。
大きな神社を想像していたので、民家に挟まれた鳥居を見逃してしまった。

遠野 伊豆神社


伊豆神社
祭神は瀬織津姫、母神(俗称おない)

『遠野物語』第二話 神の始
 遠野の町は南北の川の落合に在り。
 以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、
 其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。

 四方の山々の中に最も秀でたるを早地峰と云ふ、
 北の方附馬牛の奥に在り。
 東の方には六角牛山立てり。
 石神と云ふ山は附馬牛と達曾部との間に在りて、
 その高さ前の二つよりも劣れり。

 大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、
 今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、
 今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、
 夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、
 末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、
 終に最も美しき早地峰の山を得、
 姉たちは六角牛と石神とを得たり。
 若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、
 遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山に遊ばずと云へり。

「大昔に女神あり~」の一説は、遠野を見守る早池峰に関わる重要な一説。
遠野の信仰の原点とでも言うべき物語だ。
三女神の母については、征夷大将軍 坂上田村麻呂が連れてきたとする話、
前九年の役で敗れた安倍宗任の妻とする話もある。
母 「おない」と「おいし」「おろく」「おはつ」の三姉妹の名は、
安倍宗任伝説に付随した話だ。
 お「いし」=「石」上山
 お「ろく」=「六」角牛山
 お「はつ」=「早」池峰     
から考えられた当て字だろう。とうことは、
 お「ない」=来「内」 か?

伊豆神社という名称は、大同年間(806-809)
早池峰を開いた四角藤蔵が来内権現を感得し、
故郷の来内に草庵を建てて祀っていたところ、
それを聞きつけた伊豆走湯の修験者が遥々やってきて、
獅子頭を御神体として奉納したことに由来する。
唐突に伊豆から修験者が来たのが疑問ではあるが、
今のところそれしか説明のしようがない。
(遠野から海岸に出た釜石には虎踊りなど伊豆の民俗が伝わっているが、
 それは廻船業で名を馳せた吉里吉里善兵衛が、
 後北条家臣時代に伊豆の下田を領有していたからであって、
 伊豆神社と結びつけるのは少々無理がある。)

伊豆神社は、早池峰・薬師岳・早池峰神社・神遣神社を結ぶ直線上にある。
これが、伊豆神社が「神の始」とされる由縁。
また遠野の郷土史家の研究によれば、
「早池峰山」「薬師岳」「天ヶ森」を結ぶラインでもあり、
それが元々の遠野三山である可能性があるとのこと。
遠野の街から早池峰を仰ぎみると、上記三山が重なって見えるわけだ。


隣の公民館に車を停めさせてもらい鳥居をくぐる。
朱の鳥居をくぐるとすぐに石鳥居。その先には石段。
杖が用意されていたので早朝から運動かと覚悟したが、
石段が急なわけでもなく、参道が長いわけでもなくホッとした。

遠野 伊豆神社


石段はすぐに途切れ、あとは土がむき出しの坂。
なるほど、杖はこのためか。
適度に茂った木々の間を縫って、参道が続いている。
木の後ろに何かが潜んでいそうな、雰囲気のある境内だ。
フォト
かわいい豆狛犬が遠慮がちに向い合っていた。


遠野 伊豆神社


社殿には遠野でよく目にする「鉄の剣」が外壁に奉納してあった。

遠野 伊豆神社


遠野の母神にご挨拶して、遠野の旅の無事を祈った。



















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