2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


060806_5749.jpg


アテルイの時代から約250年後、
華やかな平安文化に酔いしれる朝廷の
貴族達を震撼させる争乱が起こった。
1056年、前九年の役の勃発である。

蝦夷を束ねる安倍頼良と陸奥守・藤原登任。
両者の衝突から始まった戦乱の炎は、
源氏の総領・源頼義の陸奥守就任によって、
一度は下火になった。
藤原登任率いる朝廷軍に快勝した蝦夷軍も、
さすがに武門の名門中の名門、源氏とは
事を構えたくなかったようだ。
安倍頼良は名を頼時に改名し恭順。
(源頼義と読みが同じだったため)
時の天皇の母の病気祈願のための大赦で、
反乱を起こした頼時の罪も許された。
しかしそれでは納得いかないのが、反乱軍鎮圧のために
遠く陸奥まで派遣されてきた源頼義。
頼時の子、安倍貞任に濡れ衣を着せ挑発、
奥州は再び戦火に包まれた。

戦乱で死亡した頼時に代わって、蝦夷軍を率いたのは貞任と、
妹婿の藤原経清。経清は元々は中央の人間だが、
源頼義のもとを離れ、妻の実家の安倍氏へと加担した。
二人の連合は強く、朝廷軍を散々打ち負かしたが、
頼義は出羽の蝦夷、清原氏を見方に引き込み、
ついに安倍軍も奮闘むなしく敗れ去ったのだった。


平泉の北に位置する衣川の地は安倍氏の拠点。
平安時代は地方長官として陸奥守が置かれていたが、
実質の支配権は蝦夷の実力者・安倍氏が握り、
安倍氏の勢力圏と陸奥守の勢力圏の境界線が
この地を流れる衣川だったという。
世界遺産候補に挙がっている平泉と違って、
衣川はきわめて閑散とした農村だ。
それでも、近年の義経ブームで発掘調査が進み、
安倍氏や資金面の協力者・金売吉次の居館と思われる遺構が
次々と見つかっているという。

「夏草や兵どもが夢のあと」とは、平泉を詠んだ芭蕉翁の句。
だが、今や陸奥きっての観光地と化した平泉よりもむしろ、
平泉の人気に押されて、未だ日の当たらない衣川にこそ
相応しいかもしれない。
言い古された言葉ではあるが、
形のあるものは、いつかは滅び去るのが必定。
しかしどんなに時を経ても、変わらないものもある。
安倍頼良の時代から、いやもっと以前からかもしれない、
遙か悠久の昔から、この地の守り神として人間の営みを
絶えず見守り続けていたもの。
私が衣川の地を踏んだのは、この地に祀られるアラハバキ神を
訪ねるために他ならない。

060806_5683.jpg


上衣川村のその名も”石神”に目的の磐神社はあった。
田園風景の真ん中にこんもりとした林があり、
遠くからでも簡単にそれと分かった。丹内山神社の前例から、
アラハバキ神は山に鎮座しているものとばかり思っていたので
少し拍子抜けした。
だが、安倍館西郭・東郭・古舘に囲まれたこの地のこと、
阿倍氏の守護神アラハバキ神であることに、もはや疑う余地はない。

拝殿のみの小さな神社だが、縁起式内社である。
由緒書には、「古来社殿は設けないならわしであったが、
明治4年には上衣川村の村社となり、明治30年頃、
近郷の氏子の強い要望による寄付金で拝殿が建築された」とある。
近代になってアラハバキ神の意味が忘れられていくのを恐れて、
拝殿を建てたのであろうか?
古来からのならわしを破ってまでも、残さなければならないと、
明治の氏子達は思ったに違いない。。。と考えたい。

060806_5690.jpg


はたして、拝殿の裏には巨大なアラハバキ神が鎮座していた。
石柱の柵はあるが、もはや形をなしてはいない。
岩の中程に小さな祠がある。
私は呼ばれた気がしてアラハバキ神の上に乗ってみた。
とたんに視界が揺らぎ………

060806_5693.jpg


        ・
        ・
        ・
        ・
        ・
        ・
        ・

とはならなかったが、写真にはこう写っていた。
非科学的なことを言うが、時に写真が依代になることもあろう。
今は拝殿があるので見通しが悪いが、何もなかった時代には、
この少しの高さからでも辺り一面を見晴らすことが
できただろうと思われる。
もしかしたらこの地の指導者は、アラハバキ神の上で何かを感じ、
氏子達に神託を降していたのかもしれない。

実は磐神社のアラハバキは対になっている。
その相手は少し北に行った衣川村のその名も”女石”の地、
松山寺内にある女石神社だ。
朽ちかけた拝殿の裏に鎮座ましますのが女石。

060806_5730.jpg


あまり大きなものではなく、案内も何もないので、
住職に場所を聞いてやっと分かった。
大きくはないが、その名の由来となったであろう裂け目が、
鋭利な刃物で切ったように鮮やかであった。

060806_5723.jpg


私が女石の周りをウロウロしているのを、
寺の子が不思議そうに眺めているのが印象深かった。

















管理者にだけ表示を許可する


Design by mi104c.
Copyright © 2017 風と土の記録, All rights reserved.




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。