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2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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ひふみよいむなやこと、とこやなむいよみふひ。
ふるべゆらゆら、ゆらゆらとふるべ。

私とアラハバキとの出会いは、高橋克彦氏の小説『火怨』だった。
蝦夷の若者アテルイが、物部の巫女から
アラハバキの神事を受ける場面である。
不思議な祝詞の文句と共に、私の脳内に強烈な印象として残った。

その神事の舞台となったのが、東和の丹内山神社である。
丹内山神社は花巻と遠野の中間の、小高い丘を利用した境内。
神社の由来は、約1200年前上古地方開拓の祖神、
多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祭神として祀ったのが始まりで、
延暦年間には坂上田村麻呂が参籠し、
享保3年(1096)頃からは、隣の群である江刺に
拠点を構えていた藤原清衡公の信仰が篤に厚く、
毎年の例祭には清衡公自ら奉幣して祭りを司っていたと言われている。
ちなみに藤原清衡公は、私の崇敬する藤原経清公の嫡男で、
平泉四代の栄華の基礎を培った人物である。

境内には駒形社、安産神、疱瘡神、八幡社、加茂社などの境内社、
また十一面観音を祀るお堂、
挙げ句の果てには胎内山七不思議なるものがあり、結構広い。
しかし、肝心のアラハバキ神はどこに鎮座されているのか。

はたしてそれは、本殿の裏手にあった。

060804_5502.jpg


本殿も壁一面に古事記と万葉集の彫刻が施された見事な建築なのだが、いかんせんその背後からは、圧倒的な存在感が伝わってくるのだ。
本殿よりも大きい岩が鎮座している。
これこそがアラハバキ神なのか!!
やっと巡り会えた感動に、周りを何度もぐるぐると回ってしまった。
ここに来るまで、境内にはアラハバキについては
何の記述も無かったのだが、鎮座ましますその横には
ちゃんと由来が書いてあった。

ーアラハバキ大神の巨石(胎内石)ー
千三百年以前から当神社の霊域の御神体として
古から大切に祀られている。地域の信仰の地として栄えた当社は、
坂上田村麿、藤原一族、物部氏、安俵小原氏、南部藩主等の崇敬が厚く
領域の中心的祈願所であった。安産、受験、就職、家内安全、
交通安全、商売繁盛の他、壁面に触れぬよう潜り抜けると
大願成就がなされ、又触れた場合でも合格が叶えられると
伝えられている巨岩である。東和町観光協会
(原文ママ)

060804_5519.jpg


胎内潜りは壁に触れても触れなくてもOKという。
なんとサービス精神旺盛な神様か。
従って意外とミーハーな、否、信心深い私は胎内潜りを行ってみた。
とてもじゃないが、壁に触れずに潜り抜けることはできない。
なにしろ潜るべきすき間の途中に、地面から飛び出た岩があり、
それを乗り越えるには体をあらぬ方向に曲げなければいけないのだ。
案の定体が触れてしまった。
ここは東和町観光協会の言葉に甘え、合格ということにしよう。

ところで、アラハバキ神は中央から疎外された神なので
まともな記録がほとんど無く、後世になって色々な説が出てきている。
・ハバとは古語で蛇のことで、蛇神を祀る。(古代神山信仰の名残か?)
・出雲の流れを汲む氷川神社がもともと
 アラハバキを祀っていたことから、製鉄の神。
・製鉄に関わることと脛巾=脚絆に通じることから
 修験の信仰として取り入られ、脚の神とされる。
・伊勢神宮において、瀬織津姫(神宮の荒神にして早池峰の女神!)
 がアラハバキ姫と呼ばれていた伝承がある。
・東日流外三郡誌によると、大陸から渡ってきたアラハバキ族の
 祭神がアラハバキ。※東日流外三郡誌は偽書の確率が高い…

はたしてアラハバキ神とは一体何物なのか?
いずれにせよ、天孫神話に追いやられた今となっては、
わずかな記録や伝承に頼るしか、知る術がないのである。


アラハバキ神の正面に立ち、両手をそっと添えてみる。
少しでも神の体温を感じることが出来るだろうか。
目を閉じ、これまでの経緯、そして思いの全てを打ち明け祈願する。
どの位の時間が経過しただろうか。


ガサガサ。


なんと!!

手をついていたすぐ左脇の注連縄の中から蛇が!!

060804_5525.jpg


・・・・・・



と思ったらよく見るとトカゲだった。
しかし、なんとも美しい。
トカゲをこれほどまで美しいと思ったことはない。
注連縄から顔を出し、しばらくこちらを見つめている。
神の使いかなのだろうか?
うん、きっとそうに違いない。
そう思うことにしよう。
きっと私の祈願を受け取ってくれたのだ。

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おまけ。

当地に所縁のある坂上田村麿、藤原氏、
そしてその後の領主である安俵小原氏、南部氏、
そのなかで物部氏の名だけが浮いている。
いや、『火怨』では物部がキーワードになっているので、
ある程度、物部の名を期待して来ていたのだが、
本当に物部の信仰対象だったとは驚いた。
まぁ高橋氏も当然ここに取材に来ているだろうし、
この由緒書を参考にしたことは大いにあり得る。
ただ、物部一族は蘇我馬子に敗れて以来、
歴史の表舞台から消え去った一族だ。
(例外として石上麻呂がいる)
この陸奥の地に突如、物部の名が出てくるのは意外だった。

歴史上、天孫族に追いやられ消えていった土着の民たちは、
神話や伝承の中でのみ、その存在が覗えるありさまだが、
その中でも大和のニギハヤヒを奉じ、
イワレヒコ(神武天皇)の東征の際天孫族に与して、
大和朝廷で重要な地位を占めた物部氏は、土着の民としては
異例の出世頭だったのだ。
天皇家の軍事面、または石上神宮の祭祀権を握っていた物部氏。
(物部のモノとは武器、または物の怪=呪術のモノの意)
にも関わらず、蘇我合戦以降一気に没落したのは、
朝廷を中心とした中央勢力が、新しい学問としての仏教に
傾倒していくなか、古い土着の神を祀る物部氏は
時代に乗り遅れてしまったからだと言われている。
蘇我合戦の原因は仏教導入を巡る戦いであり、
対する物部・中臣は排仏派だったのだ。
それでも、日本各地に物部の名残が残っているのは、
軍事氏族として日本全国に派遣されていたことと、
中央で敗れた後、全国の氏族を頼って落ち延びたからとされている。

物部氏については、書き出すとキリがないのと、
未だ謎とされていることが多いので詳しくは書かないが、
物部氏とアラハバキの関係ついては面白い説がある。
埼玉を中心とした武蔵国に多い氷川神社に、客人神
(まろうどかみ=土地を奪われて後から入ってきた
 日本神話の神と置き換えられた神)
としてアラハバキを祀っていたことは先に書いたが、
その氷川神社の祀官が鍛冶氏族である物部氏の流れを汲むそうだ。
氷川神社のある埼玉は、古代製鉄産業の中心地。
また、陸奥では多賀城址近辺の荒脛巾神社など、鉄鉱山の近くに
アラハバキが祀られている例があるそうだ。

高橋氏の小説では、物部氏は蝦夷の経済面のパートナーとして、
金属精錬の民として書かれている。
特に『炎立つ』では金売吉次(昨年話題になった源義経を
鞍馬山から平泉に連れて行った人物)が物部の末裔とされている。
小説を鵜呑みにするわけではないが、アラハバキと物部の関係には、
色々と想像をかきたてる要素が含まれていて、面白いと思うのだ。

















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