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2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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甲府盆地を旅していると、必ず目にするものがある。
積み上げられた小さな丸石、ドンッと置かれた大きな丸石。
丸石道祖神である。

以前、ワイナリー目当てで勝沼によく出かけていたが、
ブドウ畑の脇に置いてある丸石を、
当時はブドウの守り神か何かかと思っていた。
それもそのはず勝沼は、至る処にブドウ畑、
そして至る処に丸石が置いてあるのだ。

それが道祖神であることを知ったのは最近のことだった。

この度山梨に所用があって、10月は何度か甲府盆地を訪れた。
そして時間の都合のつく限り、盆地内を走り回った。
そこで出会った石神さまを、ここに記したいと思う。



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某日、私はとある調べ物の為笛吹川北岸にいた。
上流から甲州市、山梨市、笛吹市、の辺りである。
この辺りには石にまつわる神社が多い。
次の日の探索に備え、「ほったらかし温泉」で一風呂浴びた私は、
道の駅牧丘に向かって山道を走っていた。
いや、正確には道を誤って国道に出損なったのだ。
だが、これこそが怪我の功名。
その道には路傍の丸石がやたらと多かったのだ。

人も通らぬ夜道のこと。
私は車を停め、その丸石を注意深く調べた。
台座に道祖神の文字。
道祖神と言えば、村と村の境界や辻、三叉路の片隅に
ポツンと鎮座している石の神様である。
辻に立ち、疫病・災害などをもたらす悪霊が
集落に入るのを防ぐとされている。
これまで、男女で仲良く並んでいる双体道祖神や、
文字だけの石碑の道祖神を見たことはあっても、
ただの丸石が道祖神として祀られているとは初めて知った。
台座に道祖神と彫られているからには、間違いなく道祖神なのだ。

翌日からの私の旅程に、道祖神を巡ることが追加された。



甲府盆地には北東から笛吹川、北西からは釜無川が流れ込み、
笛吹川と釜無川は盆地南部で合流して富士川となる。
近代以前は、盆地北東部、主に笛吹川流域を国内地方と呼び
甲斐源氏嫡流の武田氏が支配、
盆地南西部、主に富士川流域を武田一族の穴山氏が支配していた。
同じ甲府盆地でも、土地が違えば文化も違う。
丸石道祖神が多く見られるのは、国内地方である。

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山梨市七日市場には、県下最大の丸石道祖神がある。
直径約1m、バス停の横に道祖神の為の土地があり、
養蚕の神、蚕影山の石碑と共に、小さな丸石を伴って鎮座している。
笛吹川の南岸のこの地、山梨市駅から大井俣神社を経て
七日市場に至る道もまた、丸石道祖神の多い道だった。

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さて、一方で河内地方の道祖神はどうかというと、
丸石を見ることは少なく、双体道祖神がメインとなっている。
市川大門を中心に探索して回ったのだが、
私の見た限りでは、路傍に丸石を見出すことは出来なかった。

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この中心に幣束を立てた双体道祖神は、
諏訪地方でよく見かけた気がする。
諏訪は道祖神メインで回っていないので
確かなことは言えないが、今度行ったときに調べて来よう。

ところで、諏訪地方と言えば双体道祖神のメッカ。
私は丸石道祖神と双体道祖神の分布の境目を知るために、
甲州街道を諏訪方面に進路をとった。
目指すは釜無川流域である。
もし双体道祖神が多いようならば、
諏訪からの河内を結ぶラインが双体道祖神で繋がる。

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結果は○だった。
丸石である。
この写真は須玉町津金の歴史資料館編集の地図に、
道祖神まつりとして紹介されていた道祖神。
巧みな細工の祠とともにあることからも、
この地を代表する道祖神であることが分かる。
これで丸石の分布がますます分からなくなった。

とはいえ、この辺りは山間の地、
釜無川と須玉の間には、七里岩がある。
韮崎から蔦木まで28kmにおよぶ釜無川が削った断崖だ。
気の迷いで七里岩の上ばかり巡ってしまったが、
道祖神の分布を調べる目的ならば、
釜無川西岸の低地を巡る方が良かったかもしれない。

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須玉では他に面白いものを見付けた。
祠の前に一直線に並ぶ丸石道祖神、
その中ほどに一つ、割れた石棒が紛れ込んでいるのだ。
これは大きな発見である。
路傍の道祖神として、石棒と丸石が共に祀られている例は、
他に見当たらなかった。
道祖神でない例としては、一宮浅間神社境内では
石棒と丸石が一緒に祀られている。
枕石と言って、もとは鳥居脇に倒れていた石を
近年立てて祀ったものだそうだが、
子宝祈願の神社でこの配置(笑)
どう考えても子宝にまつわる石であることは間違いない。

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こういった石棒は、諏訪地方ではミシャグヂ神を表すものとして、
神社の御神体になっていたり、遺跡から発掘されていたりする。
また、釈迦堂遺跡資料館では、死者を埋葬するときに
男性なら石棒を、女性なら器を一緒に埋葬する
といったことが述べられていた。
つまりは男性器と女性器である。
ちなみに釈迦堂遺跡では縄文期の丸石も発掘されたらしいが、
石棒との関連では語られていなかった。
では丸石と石棒の関係はどうなるのだろうか?


先に、道祖神は村の守り神と書いたが、
一言では言い表せないのがこの神の奥深いところ。
子孫繁栄の神とする側面もあるのだ。
男根像を道祖神と見なすこともあれば、
双体道祖神が仲むつまじく愛し合っている例もある。
子孫繁栄の側面から考えれば、
男性器である石棒に対して、丸石は女性か子供だろう。

最後に道祖神ではないと思うが、印象的な例を示しておこう。
甲斐市の諏訪神社社殿奥で見かけた男根像である。
東北ではよく見かけるのだが、
甲州で見かけたのはここだけである。
脇に輝く丸石が添えてあるのが印象深い。





私はまだ、この丸石がどのように発生したのかを知るには至らない。
現在では石工の手によるものも増えてはいるが、
本来は丸石は自然発生するものなのか、
それとも人の手で丸くするものなのだろうか?
遠州には「子生まれ石」といって、
砂岩の自然石から、まん丸の石が自然に生まれてくるという
不思議な石があるが、同じような現象でもあったのだろうか?
また、これは想像だが、
甲府盆地は河川の氾濫に悩まされ続けた地である故に、
笛吹川の水で角が取れて丸くなった石が、
洪水の引いた後に残されていたのかもしれない。
水神の落とし子である。

ともあれ、この地では丸石が
大変な信仰を集めていることだけは確かである。
道祖神と一括りにされているが、
神社や祠に供えられた丸石を見ていると、
どうも簡単に道祖神と言い切ってしまうことの出来ない
特別な意味を持っている気がしてならないのである。

















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