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社と立石・甲州石神考その2
先日の日記で、山梨の丸石道祖神について書いた。
その時に、立石または石棒についても少し触れたが、
実は山梨には、もっと分かりやすい立石信仰があるのだ。

それは神社の境内の、最も分かりやすい位置に、
いかにも意味ありげに佇んでいるのである。


○一宮浅間神社

笛吹市一宮町、甲斐国一宮浅間(あさま)神社。
東京から甲州街道で甲府盆地に入り、
しばらく行くと右手に大きな赤い鳥居が見える。
右折し鳥居を潜ると、そこが一宮浅間神社である。
貞観六年五月二十五日、富士山の大噴火の折り、
駿河の浅間神社の怠慢だとして、
富士山北麓の甲斐にも浅間神社を祀ったのが始まりである。
本来は釈迦堂遺跡の近くに創建したものを、
改めて平地に社殿を移したのが、この一宮町の浅間神社である。
祭神は木花開耶姫命。富士山の女神である。
そしてその社殿の目の前に突き立っているものが…

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「子持ち石」という名の陽物石である。
なるほど、この神社は子宝祈願の神としても有名らしい。
浅間神社には、このほか2体の立石が存在し、
それぞれ男根に見立てられ祀られているている。
しかし、この立石を持つ神社は、浅間神社だけではなかったのだ。


○二宮美和神社

次に訪れたのは笛吹市御坂町二之宮、美和神社である。
県立博物館の南、中央道を越えてすぐのところに美和神社はある。
町中にあるが、並木の参道から社殿まで一直線。
先の一宮よりも趣のある境内だ。
拝殿の前は広場になっており、
どこからでも拝殿を見渡すことが出来る。
そして、拝殿に目をやると嫌が応にも立石が目に入るのだ。

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石畳の参道からニョキッと突き出た立石。
元から埋まっていたところに石畳を通したのか、
それとも石畳と一緒に作ったのか。
景行天皇の時代、日本武尊東征の際に、
大和の大三輪神社から勧請したのが始まりである。
当然祭神は大物主命。
重文の大物主神像をはじめ、武田家に所縁のある宝物、
無形文化財の太々神楽など、沢山の文化遺産が残っているが、
逞しい立石については何も述べられてはいなかった。


○三宮玉諸神社

一宮、二宮と続けば当然次は三宮。
どれも延喜式神名帳に名が残る、由緒正しい古社である。
甲府市国玉町、駅伝で有名な山梨学院大の南に玉諸神社は鎮座している。

社記には、元々は北方の三宝山上に祀られていた社を、
景行天皇の時代、日本武尊の東征の際に、
水害に苦しむ甲斐の民の為に、国中央の佳き地を選び、
水害防止のため一つの球を土中に納め、
上に一株の杉を植え国玉大神として祀ったとある。
この杉を玉室杉と呼んだことから、
玉諸の名が起こったとも伝えられている。

三宝山とは御室山、すなわち大蔵経寺山のことであろう。
山梨の石信仰は、この山を中心に展開している
といっても過言ではない重要な山である。

社記で述べられている球とは、
きっと丸石信仰に所縁のあるものだと思うのだが、
玉室杉もろとも、見つけることが出来なかった。
戦国末期、織田軍の兵火にかかり全焼したそうなので、
その時に失われてしまったのかもしれない。

061023_7540.jpg


肝心の立石は、この神社には存在していなかった。
丸石が埋まってるから必要ないのだろうか。
拝殿は平成十六年に建て替えたばかりだが、
素晴らしい出来映えの建築だった。
時代を経るごとに、風格が出てくることが期待できる。
個人的趣向では、あまり新しい神社は好まないのだが、
久々に将来が期待できる社殿に出会ったことが嬉しかった。


つづく




















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