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2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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甲府盆地の北方、金峰山の各登山口には
金桜神社の里宮が鎮座している。
一番有名なのは昇仙峡も近い甲府市御岳町の金桜神社だが、
ちょうど近くを通ったので、牧丘町の金桜神社も訪れてみた。

御岳町の金桜神社とは違い、こじんまりとした境内であったが、
本殿背後のご神木が立派であった。
真っ直ぐに立つ一本の杉。
のどかな境内だが、ご神木の周りだけは、
ヒシヒシと霊気がみなぎっていた。

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ところで、案内板にちょっと面白いことが書いてあった。

「社記によると、仁寿3年(853)3月
天台宗智証大師により大和国より勧請した鎮守社という、
旧社地は高原といい、金峰山東登山道の御料林内にあり、
往古の石積や礎石、古代文字を刻む石碑などが残されている。」

古代文字って…

確かに古代文字や神代文字というものが存在する、
ということは知っているが、いかんせん眉唾物である。
なので私は古代文字はあまり信じないことにしているのだが、
こうもはっきりと案内板に書かれていると、見てみたくなる。

私は旧社地へ向かうことにした。




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現社地から琴川に沿って北へ数キロ、
山道の途中に旧社地はあった。

案内板はあったが、そこには先程と同じ文面が、
そして、その奥には朽ち果てた案内板があり、
何とか読んでみる。
どうも、織田軍の甲州征伐の際に焼き討ちされ、
それ以来打ち棄てられたまま、社地を変更したらしい。
こんな山奥の神社まで…と思ったが、
山岳修験の勢力も封じておく必要があったのかも知れない。
最近何かの雑誌で、放光寺の若い僧が中心になって、
廃れてしまった金峰山の修験の道を開拓している、
ということを知ったが、その起点もこの金桜神社の現社地。
戦国当時、この地の修験は相当の力を有していたということだろう。

旧社地に足を踏み入れると、真っ先に目に飛び込んでくるのは
ペンキ塗りの赤い鳥居。
朱塗りの鳥居と違い、どこか毒々しくて落ち着かない。
落ち着かないと言えば、どうも旧社地に入ってからは、
何か異様な空気を感じる。
この時期山に分け入ると、熊が出ないかとソワソワするのだが、
ここでは熊ではなく何か別のものを感じる。
言葉では言い表せない何か歪んだ次元のようなもの、
とでも言うべきか。

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薄暗い森の木々に埋まっているとは言え、
まだ遺構はわずかに残っている。
崩れさった石垣や石段、わずかに残る社殿の基礎。
あちこちに石が転がっていて、苔が張り付いている。
案外雑草が少ないのは、あまり日光が当たらないからだろうか。

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元の本殿のあった場所には、今も小さな社が建っていて、
まったく人が訪れないわけではないようだ。
社の後は急な斜面になっている。
何かありそうなので登ってみたが、
行き着いた先は岩が積み重なってできた壁。
あちこちに転がっている石は、
この崖から生み出されたものなのだろうか。
肝心の古代文字は、どれのことを指しているのか
まったく分からなかった。
模様みたいな亀裂のある石が沢山あったが、
もしかしてそれのことを指しているのだろうか?

時が止まったような山中の聖域。
木漏れ日だけが、刻々と時を刻んでいた。

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