2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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1月の終わりに天目山を訪れた。
何となく日記に書きそびれたまま、
このままお蔵入りかと思っていたが、
とあるニュースが飛び込んできたので、
今さらながら書いてみようと思う。


「山梨県甲州市教委は19日、同市の景徳院境内にある武田信玄の四男、勝頼(1546~82年)の墓の保存修理工事で、法華経の経文を書いた経石が先月末までに5415個出土したと明らかにした。専門家によると、経石は経典を納めた経塚に埋めるのが一般的で、墓から大量に見つかるのは珍しい。この墓は、勝頼が亡くなって約200年後に造り直され、当時の「武田ブーム」が影響している可能性があるという。」
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070220k0000m040060000c.html?in=rssw


その日は良く晴れた休日の午後だった。
甲州街道、道の駅甲斐大和の少し東、
景徳院入り口と書かれた道にはいると、
そこから先はずっと山道だった。
舗装はされているものの、民家もまばらで人影はなく、
道の脇には日川が流れが深い谷底に続いている。
勝頼主従自害の地は、現在は景徳院という寺院になっている。
徳川家康が主従を弔うために建てた田野寺が元だという。
脇にはちょっとした水場があり、首洗い池と呼ばれている…

駐車場に車を止め、急斜面を登っていく。
道は悪い。
景徳院に行く方はそうでもないのだが、
勝頼の墓に至る道は、土を踏みならしただけの脆い道だった。


070129_8031.jpg


10mも登ると、地蔵が見えた。
没首地蔵尊。
勝頼と夫人、嫡男信勝の供養地蔵だというが、
それぞれ首はなく、うら悲しい気持ちになってしまう。
勝頼37歳、夫人19歳、信勝16歳。
まだまだこれから、という年齢だ。
信勝は織田信長の養女との間の子で、
その妻は信勝を産むとすぐに亡くなってしまったという。
戦国大名だから、何人も妻がいたのは当然だが、
最後まで勝頼に連れ添ったのは北条氏の娘だという。
かつては同盟国であった、織田、北条両家。
それも手切れになり、両家から攻められて滅亡に至る。
そうなるまでに追い込まれたのは、
勝頼自身の手落ちか、それとも時代がそうさせたのか。


070129_8023.jpg



地蔵のさらに上には、甲勝殿という社と、生害石。
甲勝殿の裏には三人の墓があるとのことだが、
あいにく修復工事で重機を囲ってあった為、入れなかった。


訪れたその日は景観を損ねて残念、
くらいに思っていた工事現場だったが、
上記のニュースを知って驚いた。
5千を超える経石とは相当なものだ。
各地から参詣者が訪れたのであろうか。
徳川家康が、生前恐れ敬い見習った武田信玄。
江戸時代、家康が神となったため、
必然的に武田も崇められるようになったという。
そして現在、また武田ブームである。
といっても大河ドラマは勝頼の時代までやらないと思うが、
山本勘助が推しに推した諏訪御料人の息子が勝頼である。
この時期に経石が出てきたのは、
きっと勝頼があの世から番組PRしているに違いない。
これを機にもっと勝頼が評価されるようになると嬉しいな。

ならないか…



おまけ
http://www.youtube.com/watch?v=QzU5i-OGWlg





















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