2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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3月17日、今年は暖冬と聞いていたが、
山麓の県道沿いにはまだまだ雪が残っており、
数日前からぶり返した寒さが、
冬らしい冬を過ごさなかった私の、鈍った肌身に突き刺さる。

美しく雄大な早池峰の姿を東に臨み、
花巻から大迫の早池峰神社にたどり着いたのは、
午前9時30分をちょっと過ぎた頃であった。

駐車場に車を停め、宿坊の立ち並ぶ参道を歩き、
半年ぶりに早池峰神社の境内に足を踏み入れた。
二の鳥居を過ぎた辺りは左側が見通しがよく、
そこから間近に迫る早池峰を遙拝できる。
清々しい青空だ。
期待と不安を胸に秘めつつ、我々は本殿での参拝を済ませ、
参加者の集う大広間で参加受付を済ませたのだった。


早池峰神社を初めて訪れたのは平成13年の蘇民祭であった。
その後は夏の神楽、冬の蘇民祭と、毎回ではないものの、
頻繁に訪れるようになった。
蘇民祭は今や観客ではなく参加者になっているので
写真の撮影はしていない。
今回は、押し入れに眠っていた平成13年の
蘇民祭のフィルムを引っ張り出してきたので、
その写真を掲載しようと思う。

大広間では、見知った顔もチラホラと居たので、
ストーブを囲みながら歓談する。
なにせ参加者関係者全員が入ることの出来る大広間だ。
大型の石油ストーブが何台あってもまだ寒い。
参加者一同はここで「寒い寒い」とぐずる習わし(笑)で、
この間に境内では神事が執り行われているのだが、
郷に入れば郷に従え、私も神事は見学せずに
歓談に勤しむのであった。


    * * *



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これは過去の写真だが、参加者が受け付けを済ましている間、
社務所では蘇民袋を作っている。
十二支の焼き印の入った365個の駒を麻の袋に詰め、
口を縛り表に「○○年 蘇民祭 五穀豊穣」と書き込む。
参加者はこの蘇民袋を求めて争うのだ。
一の鳥居を過ぎたとき、最終的に袋の口を握っていた三名が勝者。
その中でも優勝者には大きな蘇民将来札が与えられ、
1年間の無病息災と家内安全が約束されるのだ。
このことは、「備後風土記」にある蘇民将来の説話に基づいている。

昔、武塔神という神が、旅の途中一夜の宿を求めた際、
裕福な家に住む巨旦将来に宿を請うも断られてしまい、
巨旦の兄である蘇民将来を訪ねると、
蘇民は貧乏にも関わらず部屋を提供した。
質素ながらも丁寧なもてなしに感謝した武塔神は、
厚く礼を述べ去っていった。
やがてその村落を再訪した武塔神は、
蘇民将来を訪ね、その正体を明かし、
蘇民の家の者は腰に茅の輪を括り付けて寝るように告げる。
果たして夜が明けてみると、村落は疫病で死に絶え、
腰に茅の輪を括り付けた蘇民の家族だけが助かったというもの。

この説話が全国に流布し、各地の蘇民将来符や茅の輪くぐりとして
今に伝わっているのである。
岩手では、裸で蘇民袋を奪い合う蘇民祭が盛んで、
1月2日の胡四王神社蘇民祭から始まり、
3月17日の早池峰神社蘇民祭で幕を閉じる。
その間、様々な場所で蘇民祭が行われるのだ。
とりわけ水沢の黒石寺蘇民祭は、日本三大奇祭として有名である。

    * * *


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神事が執り行われ、争奪戦の開始である。
と言っても参加者一同は大広間で「寒い寒い」と繰り返し、
いまだ服も脱がずにいた。
さすがに業を煮やしたか、審判長が外から
「いい加減にしろ!」と激しく窓を叩き、
一同は慌てて服を脱ぎ飛び出していくありさまであった。

拝殿前から始まった争奪戦は、ゆるい緊張感に包まれていた。
なにせほとんどいつもの顔ぶれ、
土曜とあって例年よりは人数が多いとしても、せいぜい十数人。
黒石寺では、堂内が数百人のフンドシ男であふれかえるそうだが、
早池峰神社の蘇民祭は、それに比べると実に素朴である。
私などはそこに魅力を感じてしまうのだ。

集団が拝殿前の石段を下りようとすると、
「まだ早いまだ早い」と周りから雪玉を投げ込まれたりする。
「今の内に触っどけ。」と、蘇民袋にも簡単に触らせてもらえる。
観衆の中に子供が居ようものなら、
その子を高々と担ぎ上げたりもするのだ。
今年は元気のいい男の子で、
服をはぎ取られた上半身裸姿で、
勇壮に腕を天に振り上げていた。



しばらくして、そろそろ進めという雰囲気になったので、
集団は神門の石段をゆっくりと息を揃えて下りていく。
半ば凍った石段はツルツルと滑り、
後ろ向きで下りる人には危険きわまりない。
審判の声に従い一歩一歩確実に下りていくのだ。

そして長い参道をゆるりゆるりと歩みを進める。
この頃になると、社務所の大広間で機会を窺っていた参加者も
争奪戦になだれ込み、肉の壁もかなり厚くなった。
やっと、冷たい風から逃れることができホッとした。
…のも束の間、今度は外野からの水攻撃が!
ゆるい緊張感を引き締めるためか、
参道では外野からのちょっかいが激しくなる。
大量の雪の固まりならまだ可愛い方で、
柄杓で水を撒かれたりすると溜まったものでない。
幸い、柄杓の水は後ろに居た同行のK氏が盾となって、
中間にいる私にはあまり被害が及ばず助かった。
と思って油断していたら、「うひゃっ!!」
頭の上から直接水を掛けられた。
ずぶ濡れである。
その反動で周りの人が離れたので、
寒風が一層身に染みたのであった…

次から次へと続く外野の波状攻撃にも耐え、
参加者一同に妙な連帯感が出来た頃、
参道は三の鳥居に差し掛かった。
前半のゆるい緊張感は一変し、参加者の目付きが変わる瞬間だ。
ここから先は、何が何でも蘇民袋から手を放してはならない。
ここで集団から外れると、もはや付け入る隙はないのだ。
二の鳥居を過ぎると、そこから先は急な石段である。
もはや石段に差し掛かれども他人のことを気遣う余裕など無い。
私は不幸にも石段に背を向けていた。
転がり落ちないように必死に堪え、集団にしがみつく。
石段を一歩一歩確かめて、などという余裕は当然無く、
集団に押されるままに、一段一段ずり落ちていく。
審判も指導しようと声を掛けるが、もはや誰にも届きはしないのだ。

集団に押されながらも、私は何とか持ちこたえ、
一の鳥居の2m手前に至って、
蘇民袋を両手で掴める位置に食い込んだ。
石段も終わり、後は力のぶつかり合いだ。
集団は鳥居の左側の雪の上に倒れ込む。
私もそれに巻き込まれ、不自然な姿勢で固まった。
それでも離すものかと食い下がっていたが、
なんとしたことか、私の横の人が完全に押しつぶされてしまい、
私がその上に乗っかる形になってしまった。
そのまま集団は動かない。
しばらくの硬直の後、仕方なく私は蘇民袋から手を離し、
倒れた人と共に戦線から退いた。

しかしまだ2mある。
勝負は一の鳥居を抜けた先で決まるのだ。

隙を見出し付け入ろうと、外周で見守る作戦。
集団の外周には、同じような魂胆の者や、
脱落した者がどんどん増えていく。
集団のもみ合いは蛇行し、一の鳥居の1m手前で再び硬直、
隙が生じた!

と、私は入り込もうと試みたが、
硬直の中心には、押しつぶされた年配の人が居るようだ。
審判が必死に救出しようとするが、どうにもならない。
外周で見守っていた参加者も気がつき始め、
将棋倒しの人壁を押し上げようと引っ張るが、
複雑に絡み合った裸体は岩と化し、ビクリとも動かない。
食らいついている者達は、ここで離されては堪らんと、
必死で抵抗しているのだ。
本来ならば、一の鳥居を通り過ぎないと、
勝者は決められないことになっている。
審判も、ここで終えても福は来ない、と諭すが、
もはや興奮の極みに達した猛者たちの心には届かない。
昨年の蘇民祭で、下敷きになって押しつぶされていた苦痛が、
私の脳裏に蘇った。
下敷きになった人は、どうすることも出来ないまま、
ひたすら耐えるのみなのだ。

とうとう審判側が折れた。
集団をかき分け、蘇民袋の口を握った三名に、
順位の札をくわえさせた。
争奪戦の幕切れである。
押しつぶされた人も無事救出され、
体から湯気を立ちのぼらせた男たちが、
もと来た参道を帰って行く。
結局私は機を窺ったまま見逃してしまった。
煮え切らない思いではあるが、今日の敗北は明日の勝利。
来年こそは上位に食い込んでやろうと意気込んだのであった。


戦いの後に振る舞われたあったかい蕎麦に舌鼓を打つ。
この瞬間があってこそ、今年一年を頑張ることが出来る。
とは、言い過ぎかもしれないが、
それこそが私にとっての早池峰の蘇民祭なのである。


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