2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


20070416-134708.jpg



むかしむかし、遠江国は見附村では、
秋祭りの日にどこからともなく白羽の矢が飛んできて、
矢が刺さった家は、娘を生贄に出さなければならないという、
悲しい悲しい風習があったそうな。

ある時、見附村を通りかかった旅の僧がその話を耳にした。
祭の晩、娘を入れた白木の箱を納めたお宮の縁の下に潜んでいると、
恐ろしい怪物が娘を掠っていった。
その時僧が耳にしたのは、「信濃の早太郎には気付かれるな。」
と、しきりに口にしていたこと。

捨て置くわけにはいかないと、僧は早太郎を捜す旅に出た。
そして、たどり着いたは信州駒ヶ根、光前寺。
なんと早太郎は光前寺で飼われている山犬だった。


そして秋祭りの日。
白木の箱に早太郎を忍ばせた。

翌日、お宮に行ってみると、そこにはヒヒの化け物が
血まみれで息絶えていた。
早太郎の姿を探しても見つからない。
残されたのは点々と続く血の足あとだけだったと。

早太郎は、光前寺に帰って息絶えたとも、
途中の山中で息絶えたとも言われているそうな。

070309_0234.jpg




この冬、私は遠州磐田、見附天神を訪れた。
天竜川の東に位置する大きな街の真ん中の、こんもり茂った丘の上。
矢奈比売神社ともいうこの神社の摂社に、霊犬神社がある。
霊犬神社の片隅には、ひっそりと太郎の碑が立っている。
碑の前の白い石は、さながら犬の前足のようだ。
おどろおどろしい風習は、早太郎の活躍のおかげで払拭され、
今は犬の散歩道として、のどかな公園になっていた。
ここ遠州では早太郎のことを”しっぺい太郎”と呼ぶそうだ。
しっぺいを疾病と捉え、病気除けの御利益があるという。
ただ”しっぺい”は、疾風から転じたという説もある。
早太郎も風を連想させる名前なので、その方がしっくり来る。

ここ見附天神では、面白い祭が残っている。
それこそ台風の時期に当たる旧暦八月十日前後、
浜垢離をした若者たちが腰ミノひとつで鬼踊りをするという。
人身御供の秋祭りがこれだったとも、
しっぺい太郎への感謝の祭がこれだとも言われているが、
はっきりしたことは分からない。

縄文時代から栄えた遠州地方のこと。
この地域には早い時代から水耕農業が始まっていたという。
風に乗ってやって来た、南国からの来訪者たちは、
そういう姿をしていたのだろうか。

070309_0229.jpg


   * * *

20070416-130806_1.jpg


天竜川の流れも近い、木曽駒ヶ岳の足下に、
天台宗別格本山・宝積山光前寺が建っている。
しだれ桜で有名な光前寺。
先日私が訪れたときは、
雨だというのに駐車場は観光客バスで埋まり、
境内には人があふれかえっていた。

今なお賑わうこの古刹に、霊犬早太郎の墓がある。
本堂の隣、絶好の場所に葬られた早太郎。
ひっきりなしに訪れる客に、
尻尾を振って喜ぶ姿が目に浮かんだ。

早太郎御符を買ったついでに、お寺の人と話した。
聞いたところ、早太郎伝説はちゃんと寺史に残っているという。
早太郎を借りた僧・一実坊が、
供養の為に大般若経六百巻を納めた時の記録であり、
大般若経は現在寺の秘宝となっている。
正和丙辰(1316年)のことだという。



ところで、14世紀前半というと、
もうひとつ、遠州と駒ヶ根をつなぐ話がある。
正確には駒ヶ根の隣、伊奈谷のことである。

南北朝に分かれた時代、足利幕府と対立した後醍醐天皇は、
吉野に南朝を開き、皇子を全国に配置して南朝勢力を拡大した。
天台座主の経歴を持つ宗良親王が遠州井伊谷に入ったのは、
早太郎から20年後、1337年のことである。
天竜川の交通網(後に言う秋葉街道)を駆使し、
北朝軍を翻弄した名将でもある宗良親王。
その翌年、舟の座礁で遠州に入った時にはもう既に、
遠州に基盤が作ってあったのかもしれない。 (年表)

以降、宗良親王は井伊谷と伊奈谷を拠点に全国を転戦したが、
特に伊奈谷には最も長く滞在したという。
南朝勢力の背景には、修験者の情報網があったというが、
宗良親王が天竜川に固執した理由もそこなのではないだろうか。


早太郎の伝説には示唆するところが多い。
猿(ヒヒ)が娘を掠う話は、世界中に見られる異類婚姻譚だが、
犬がそれを阻止する話はあまり聞いたことがない。
早太郎伝説の場合は、どうしても山犬に山伏を連想してしまう。
となると、当時の悪習を仏法が改めさせたことを
象徴した話なのだろうか。
光前寺と修験の関わりについて訪ねると、
やんわりとはぐらかされたが、
室町時代の学問寺なら、修験も関わってくるのだろう。

ちなみに早太郎は、へいぼう(兵坊)太郎とも
呼ばれているそうである。


20070416-131118_1.jpg


















管理者にだけ表示を許可する


Design by mi104c.
Copyright © 2017 風と土の記録, All rights reserved.




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。