2011/06/15 (Wed) ご挨拶
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その2
2011/05/13 (Fri) 東北巡礼 その1
2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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外は雨。
昼前だというのに部屋の中は薄暗く、 どこかピリピリした静寂に満ちあふれている。
ゆらり… 空気がわずかに揺らいだ。
「誰ぞ!?」
緊張が走る。
と、突然背中越しに殺気。
私はすかさず右前方に身を翻し、腰のものを一閃させた。
手応えあり。
私はこうして忍びの者を捕らえることができた。
もっとも、気配を完全に消すこともできないようでは、 忍者としては未熟者ではあるが。

5月1日のこと。
ここは甲南、望月家屋敷。 甲賀忍者の頭領の隠れ屋敷である。
私はとある調査のために、この屋敷に忍び込んだのだ。


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「さて、こやつはどうするか…」
捕らえた忍者は、この期に及んでも自ら死を選ぶこともなく、
かといって命乞いをするわけでもない。煮え切らない奴だ。
私はこれは機と、作戦を変更した。
捕虜と引き替えに、屋敷の主から情報を聞き出すことにしたのだ。
果たして、屋敷の主は現れた。
深い藍染めの作務衣に、白く染まった頭髪。
好々爺といった面持ちだが、瞳の奥は油断ならない光を湛えている。
だが意外にも、交渉は順調に進んでいった。
順調すぎて、罠ではないかと疑ったが、
主の瞳から鋭さが消えていたことで、その非を悟った。
我々が諏訪の手の者だとわかり、主は心を開いてくれたのだ。
我々は甲賀三郎伝説を追ってきた。
甲賀三郎という者が、深い洞窟に閉じこめられ、 地底の国をさまよった末、
体を蛇神に変え 諏訪湖にたどり着いた、という説話である。
その説話の伝搬に、甲賀望月家が関わっているという。
その真偽を確かめるために、甲賀の地に潜入したのだ。
主が好意を示してくれたのは、かつて諏訪の御柱祭を視察に行った際、
村人に飲めや飲めやと大層もてなされた経緯があるかららしい。
遠き日の思い出に目を細めながら、主はゆっくりと語り出した。


甲賀武士の頭領、望月家の始祖は甲賀三郎兼家、 伝説の人物そのものであった。
時は平安中期、平将門の乱に軍功のあった者の中に、
信濃国司諏訪重頼の三男、望月城主、望月三郎兼家がいた。
兼家は新たに朝廷から近江国甲賀郡の郡司に任ぜられ、
知行地を名を冠して甲賀三郎兼家と名乗るようになった。
望月家の定着した土地は甲南町塩野というが、
信濃の望月にほど近い北佐久にも塩野の字が見える。
これは望月家が入国に当たって、 所縁ぶかい塩野の地名をつけたのではないかと言われている。
塩野にはかつては諏訪神社が鎮座していたそうだ。
今は小さな祠だけが残っているそうだが、 我々は見つけることが出来なかった。


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※塩野諏訪神社旧社地付近


甲賀の地を治めるに当たって、土地の土豪と密接に関わるうちに、
山伏・山岳武士の多い土地柄故、次第に隠密の術を得意とする
武士団の統領と成長していったという。
忍者は、当時は素破(すっぱ)・乱破(らっぱ)などと呼ばれ、
忍術を使ってニンニンと戦うと言うよりも、 諜報活動などを主な仕事とした。
活動時の隠れ蓑としては、全国を渡り歩く行商人、 加持祈祷をする呪術師、
修行の旅の遊行僧などがあるが、 甲賀者はその中でも、
朝熊ヶ岳の山伏姿に身をやつし、 御符や薬を売り歩いた経緯がある。
これは、山伏ならば関所を手形無しで通過できるのと、
伊勢神宮と対をなす朝熊ヶ岳の金剛證寺の薬僧なら、
全国的に有名だから疑われ難いという理由によるそうだ。
その為か、甲賀忍者は薬に長けると言われ、 今でも甲賀には製薬会社が沢山存在している。 主が言うには、甲賀と伊賀の間に諏訪という集落があり、
そここそが現代の甲賀諏訪信仰の本拠だという。


 



 滋賀と三重と京都と奈良の国境に位置する山間の土地に、 果たして諏訪の集落はあった。


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立派な祝詞殿を正面に持つ諏訪神社の社殿は、
とても山間の小さな集落には似付かない規模のものだった。
諏訪集落から山を南に下ると、伊賀国上野の城下町であり、
伊賀一宮敢國神社の本殿には、甲賀三郎が祀ってあった。
伊賀に甲賀とは不思議な話に思えるが、
講談などで語られるような伊賀対甲賀の構図は実際にはなく、
似たもの同士、分け隔て無く戦乱の世を生き抜いてきたそうだ。
甲賀三郎説話は、諏訪大社発行の食肉免罪符、 鹿食免と共に全国に広まったという。
中世から近世を通して、肉食は仏教の影響で忌み嫌われて 穢れとされていたが、
諏訪大社は古来から狩猟の神として崇められ、
御頭祭に代表されるように、肉食が公に認められていた。
狩猟を生業とする者には、絶大な信仰を集めたようだ。
そういう人たちに、諏訪大社の関係者は、鹿食免を売り歩いた。
これらは諏訪大社経営費の重要な資金源だった。
これを請け負ったのが、望月家を中心とした甲賀者達だったようだ。
神官なり山伏なりの姿をし、辻辻に立っては甲賀三郎説話を説法し、
鹿食免を売り歩いていったのだ。 もとより諜報活動の一環だったのか、
それとも売り歩いたことによって、諜報の術を得ていったのか、
それは何とも言えないが、とにかく時には朝熊ヶ岳の薬を売り、
時には諏訪大明神の鹿食免を売り、 全国を渡り歩いて諜報活動を続けたのだ。
ここで引っかかるのは、甲賀三郎説話の必要性。
説話から読み取れることは、甲賀三郎が地底の国で彷徨いつつも、
恋人の父の作ってくれた鹿の肉の餅を食べることで、
生きながらえることが出来たという節くらいのように思える。
諏訪大社の御頭祭では、今でも鹿肉餅を模したものを 奉納しているが、
それだけでは甲賀三郎説話の壮大な物語が 必要とされた説明としては物足りない。
ひとりの人間が地底で蛇神ないしは龍神になる話には、
なにか下敷きとなる話がありそうな気がする。
屋敷の主にそのことを聞けども、 龍神に関わる伝説に関しては分からなかった。
甲賀の郷土の風習にも、龍神関係は思い当たらないという。
しかしただひとつ、思わぬところに手がかりが転がっていた。
ここ望月屋敷のある場所は、甲南町竜法師というのだ。


甲賀三郎龍神伝説、さらなる探求はいずれまた。


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