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2011/01/02 (Sun) 万治の石仏
2011/01/01 (Sat) 諏訪大社 蛙狩神事

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大窪山福楽寺。
私の曾祖父が眠る寺である。

今回の帰省までは、このことを知る由もなかった。
我が家の家系は複雑で、90歳になる祖母はあまり語らないし、
父親も若いうちに都市部に出たからか、
あまり家系のことは知らないようだ。

父親と私と妻で、愛媛の西の端まで帰った今回。
この機を逃しては、もう知ることも出来ないのではと危惧し、
父親を担ぎ出し、我が祖を辿ることにしたのだ。

ことの発端は、仏壇に飾られている三枚の写真だった。
戦争で亡くなった祖母の元夫が中央。
左は、その後反戦運動で政府に睨まれ、
神戸から逃れてきたという、6年前に亡くなった祖父。
分からなかったのが、右側に飾られている、僧形の男性。
詳しく聞いてみると、祖母の父で、天台の僧だったという。
話によると、日光のほうで生まれ、
鳥取のほうで修行した人だったことが分かった。
大正年間、祖母がまだ幼い時分に亡くなっており、
家にもそれ以上の情報は伝わっていなかった。

翌る日、親戚周りを済ませ、曾祖父の寺に行って見ることになった。
父が場所だけは覚えていたようだ。
そして行き着いたのが、福楽寺。
曾祖父は生前、この寺の住職だったそうだ。
現在の住職の奥さんがいたので、話を伺ってみると、
確かにそういう話が伝わっているという。
当時は(明治の半ばか?)僧の妻帯が許されておらず、
と言ってもやはり人間なので内縁の妻たる人はいて、
それが祖母の母、つまりは私の曾祖母だったのだ。

奥さんは奥の院に、曾祖父、静然和尚の
墓所があることを教えてくれた。
父親も、寺は知っていても、
奥の院の墓所のことまでは知らなかったようだ。
車なら行けないことはない…と言う。
陽も黄色くなりつつある時刻ではあったが、
ここまで来て参らないではご先祖に顔向けできない。
我々は未舗装の山道を延々4km、登っていったのであった。


果たして、電気も通っていない山奥のその奥に、
福楽寺の奥の院はあった。
今にも崩れそうな石段が延々と続くが、その行き着く先には、
最近再建したというこじんまりとしたお堂が建っていた。
そこから右手に山に入っていく。
磐座とも思える巨石群に囲まれた一角に、
福楽寺歴代住職の墓碑が並んでいた。

33世住職の墓碑には静然和尚の名があった。
日光輪王寺で得度し、大正11年に亡くなったと彫られている。
間違いないだろう。

我々父子二代、初めての墓参りである。
歴史の闇に閉ざされる前に、なんとか縁が繋がって良かった。

















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